目次
はじめに
Trans·gen·der - 形容詞
個人としてのアイデンティティやジェンダーの感覚が、出生時に割り当てられた性別と一致しない人を指す、またはそうした人に関する語。
訳注:本書は主にアメリカ・西洋の文脈で書かれており、例として登場する文化・宗教・制度(学校行事や宗教儀礼、医療制度など)のなかには、日本の読者になじみの薄いものもあります。そうした箇所には、必要に応じて訳注で補足しています。描かれている感情や経験そのものは文化を越えて通じますが、具体的な場面は、ご自身の環境に置きかえながら読んでみてください。
人類の文明が始まって以来、世界中のさまざまな文化において、生殖器の構造にもとづくアングロ・ヨーロッパ的な性別二元論の概念に、自分の性自認のあり方が当てはまらない人々が存在してきました。シュメール帝国において中間的なジェンダーをもつ祭司階級であったガラ(Gala)は、4,500年以上も前に存在していました。北アメリカの先住民文化の多くは、ヨーロッパによる植民地化のはるか以前から第三の性を認めており、それは今日に至るまで続いています。アフリカ各地の部族文化も数多くの性自認を認めてきましたが、ヨーロッパ人はそれを根絶やしにしようとしました。人間は長いあいだ、今日の西洋化された文化におけるいわゆる「伝統的」なジェンダーの考え方とは異なるアイデンティティや規範をもち、その規範への同調の度合いもさまざまに生きてきたのです。
それにもかかわらず、トランスジェンダーの経験に対する現代西洋の理解は、まだ130年ほどの歴史しかありません。「トランスジェンダー(transgender)」という言葉でさえ、1965年に生まれたばかりです。ジョン・オリヴェン(John Oliven)が、デイヴィッド・コールドウェル(David Cauldwell)の造語「トランスセクシュアル(transsexual)」(1949年)よりも正確な代替語として提案したのが始まりでした。そしてその「トランスセクシュアル」という言葉自体も、マグヌス・ヒルシュフェルト(Magnus Hirschfeld)の用語「トランスヴェスタイト(transvestite)」(1910年)に取って代わって生まれたものでした。
トランスジェンダーであるということは、ペニスをもって生まれた人が実は女の子であったり、外陰部をもって生まれた人が実は男の子であったり、あるいはどんな生殖器の組み合わせをもって生まれた人であっても、そのスペクトラムのどちらにも完全には当てはまらないノンバイナリーであったりする、ということを意味します。
トランスの人は、人生のどの時点でもこのことに気づく可能性があります。ジェンダーという概念を理解できるようになるとすぐに自認する子どももいれば、思春期が始まるまで何も感じない人もいますし、完全に大人になるまで何かがおかしいとまったく気づかない人もいます。多くの人は、自分のジェンダーが出生時に割り当てられた性別と食い違うかもしれないという考えや、それがどんな感覚なのかを知る機会がそもそもなく、ただ自分の運命を受け入れてきたのです。
さらによくあるのは、たとえ出生時に割り当てられたジェンダーに不満を感じていたとしても、それはトランスジェンダーの人が経験することとは違うと思い込んでしまうケースです。なかには、トランスジェンダーでありたい、性別移行をしたいと願うこと自体が、「間違った体に生まれた」自分が本当は男の子・女の子だと分かっていた「本物の」トランスの人に対する、ある種の侮辱になるのではないかと感じる人もいます。大衆メディアによって広められてきた、こうしたトランスジェンダーの経験をめぐる物語は、トランスジェンダーであるとはどういうことなのか、トランスジェンダーとして育つとはどんな感覚なのかについて、ひどく誤った印象を生み出してしまうことがあります。
社会的に推定されたジェンダーと、内面の自己感覚とのあいだに生じるこうした断絶の経験こそ、私たちが性別違和と呼ぶものであり、性別二元論の内側にいるか外側にいるかにかかわらず、ほぼすべてのトランスの人に共通して見られるものです。これは時として、トランスコミュニティのなかである種の政治的な話題になってきました。グループによって、性別違和とは何か、それがどう現れるのか、何をもってその人がトランスだと言えるのかについての考え方が異なるからです。その議論に深入りして迷子にならないよう、このサイトでは性別違和を、出生時に割り当てられた性別との不一致という広い意味で定義します。もしあなたが、出生時に割り当てられたものと一致しないかたちで性自認を経験しているなら、その不一致があなたにとってどんなかたちで現れていようとも、あなたがトランスジェンダーを名乗ることは正当なことなのです。
このサイトの目的は、性別違和が現れうる数多くのかたちと、性別移行の数多くの形態を記録し、クエスチョニングの人、トランスジェンダーとしての旅を始めようとしている人、すでにその道を歩んでいる人、そして単純によりよいアライ(味方)でありたいと願う人に向けて、ガイドを提供することにあります。
Gen·der - 名詞
女性性と男性性に関わり、その両者を区別する特性の総体。文脈に応じて、これらの特性には生物学的性、性に基づく社会構造(すなわちジェンダー役割)、あるいは性自認(自分自身のジェンダーについての個人的な感覚)が含まれうる。
この語のラテン語の語源をたどると、ジェンダーとは単に「種類」を意味します。ノルマン・フランス語の gendre は12世紀には「男性であること、または女性であることの性質」を表すのに使われていました。
「ジェンダー」という用語は、心理学者ジョン・マネー(John Money)に由来すると考える人が多くいます。彼は1955年に、精神的な性と身体的な性を区別するために「gender」を用いることを提唱しました。しかし、マネーが最初にそうした人物だったわけではありません。文化人類学者のマーガレット・ミード(Margaret Mead)は、1949年の著書 Male and Female のなかで、生物学的性とは区別されるジェンダー化された行動や役割を指してこの語を用いていました。『アメリカン・ジャーナル・オブ・サイコロジー』誌(vol. 63, no. 2, 1950, pp. 312)は、この本を次のように評しています。
しかもこの本は、その前提を超えて多くを与えてくれる。すなわち読者に、「セックス(性)」だけでなく「ジェンダー(性別)」についても、男性・女性とその生殖機能だけでなく、男性的な役割・女性的な役割についても教えてくれるのである。
マーガレット・ミードは、個別の描写から出発して、いくつかの社会における男女のより一般的な比較へと進み、最終的には私たち自身の社会、私たち自身の時代における性のパターンの分析へと至る。
人間のセックス(動詞ではなく形容詞としての「性」)は、次の3つのカテゴリーに分けられます。
- 遺伝子型(genotype):遺伝的に定まる、生物の染色体核型(XX、XY、およびそのあらゆる変異形)
- 表現型(phenotype):観察可能な第一次・第二次性徴(性器、脂肪や筋肉の分布、骨格など)
- ジェンダー(gender):観察できない性的特徴、すなわち自分自身の性についての内面的な心のモデルと、それを表現する仕方
これら3つの側面は、いずれも幅のある値のどこかに位置づけられます。小学校の保健の授業ではおそらく、遺伝子型は女性(XX)か男性(XY)かの二択であると教わったことでしょう。しかし実際には、人間にはそれ以外にも十数通りの組み合わせが起こりうるのです。
同じように、表現型もまた二択だと信じている人は少なくありません。けれども生物学では、性的特徴を集団全体にわたってグラフに描くと、実際には大多数が2つの山のいずれかの周辺に収まる二峰性分布(bimodal distribution)になることが、何百年も前から知られてきました。つまり、命のしくみそのものによって、典型的な2つの山のどちらにも収まらない人が出てくるということです。多くの人が、両方の性の特徴をあわせ持って真ん中あたりに位置しています。
一方でジェンダーは、もっとずっと……とらえどころのないものです。ジェンダーのスペクトラムを図示しようとする試みはこれまでさまざまになされてきましたが、どれもそれを十分には描ききれていません。というのも、ジェンダーが包み込むものの幅広さそのものが、きわめて抽象的な概念だからです。
出典: [Tumblr] [TransStudent.org]
ごく簡単に言えば、こういうことです。とても男性的な人もいれば、とても女性的な人もいます。ジェンダーをまったく感じない人もいれば、両方を感じる人もいます。自分のジェンダーを弱く感じる人もいれば、強烈に感じる人もいます。風のように移ろいながら、予測のつかないかたちでスペクトラムのあちこちを行き来する人もいます。そもそもスペクトラムという前提そのものに疑問を投げかける人さえいるかもしれません!自分のジェンダーを定められるのは、その人自身だけです。ほかの誰かがそれを決めつけることはできません。
ジェンダーは、一部は社会的に構築されたものであり、一部は学習された行動であり、一部は人の人生のごく初期に形づくられる生物学的な過程です。
現在の証拠が示すところによれば、人のジェンダーは、胎内で大脳皮質が形成されつつある時期に確立されるようです(これについては「性別違和の原因」のセクションで詳しく触れます)。この心のモデルが、無意識のレベルで、その人がジェンダーのスペクトラムのどの側面へと傾いていくかを方向づけます。それは、行動や、世界の感じ方、惹かれるという経験のあり方(性的指向やホルモンの影響とは別のものです)、そして他者との結びつき方に影響を及ぼします。ただし、これらすべてが同じ方向にそろうとは限りません。
ジェンダーはまた、自分が宿っている環境(あなたの身体)に対して脳が抱く期待にも影響します。そして、その環境がこの期待に応えていないとき、脳は抑うつ、離人感、現実感の喪失、解離といったかたちで警告を発します。これらは、「何かがひどく間違っている」と私たちに知らせるための、脳の無意識のやり方なのです。
Hab·i·tus - 名詞
社会的に身についた習慣、技能、傾向。人が世界を知覚し、それに反応する仕方を指す。
社会的な側面において、ジェンダーには私たちのハビトゥス(habitus)が関わってきます。それは、私たちの見せ方、立ち居振る舞いや行動、コミュニケーションの取り方、反応の仕方、人生に対して抱く期待、そして人生を歩むなかで担う役割のことです。著者のスーザン・ストライカー(Susan Stryker)は、著書 Transgender History のなかで、ハビトゥスを次のように述べています。
ハビトゥスの多くは、自分が自分をどんな存在だと感じているか、その感覚を他者に伝えるために、第二次性徴を操作することと関わっている――腰を揺らして歩くか、手ぶりを交えて話すか、ジムで身体を鍛えるか、髪を伸ばすか、胸の谷間を強調する襟ぐりの服を着るか、脇毛を剃るか、顔に無精ひげを見せておくか、文末を上げ調子で話すか下げ調子で話すか、といったことだ。こうした動き方やスタイルの作り方は、しばしばあまりに深く内面化されてしまっているため、私たちはそれを自然なものだと思い込んでいる。しかし――それらはすべて観察と実践を通じて学んだものなのだから――文化的に身につけられた「第二の天性」として理解するほうが適切なのだ。
実際、これらはすべて文化的な要因であり、長い時間をかけて集団のなかで発達してきたものです。本質的には「作りもの」であるにもかかわらず、それらは依然として強くジェンダー化されており、人は自分でも気づかないうちに、内なる自己のジェンダー化されたハビトゥスへと結びついていく傾向があります。こうした社会的な側面へのアクセスを拒まれると、人生における自分の社会的な立ち位置に対する居心地の悪さが生じます。
ジョン・マネーの実験は、ジェンダーは完全に社会的に構築されたものであり、どんな子どもも教えられたとおりの存在として自分をとらえるように育てられる、という彼の信念を裏づけようとするものでした。彼の実験は、大失敗に終わりました(「生化学的違和」のセクションを参照してください)。ジェンダーは変わりません。どんな人も、40歳のときのジェンダーは4歳のときと同じです。変わるのは、私たちが個人として成熟していくなかで深まっていく、自分自身のジェンダーについての理解のほうなのです。
これらの否定的な症状(抑うつ、現実感の喪失、社会的な居心地の悪さ)こそが、性別違和の症状です。
そして、ジェンダーではないもの、それは性的指向です。私たちは性的指向を、その人のジェンダーを基準とした言葉(同性愛・異性愛・両性愛など)で表しますが、ジェンダーそのものはセクシュアリティに影響を与えず、セクシュアリティもまたジェンダーには何の役割も果たしません。
ノンバイナリーであるとは、どういうことでしょう?
ノンバイナリーのアイデンティティは、男性または女性のどちらか一方への排他的な親和性の枠の外にあります。それは、両方に完全な親和性を感じること(バイジェンダー(bigender))や、両方にバランスよく親和性を感じること(アンドロジン(androgyne))を意味することがあります。また、日によって親和性が移り変わること(ジェンダーフルイド(genderfluid))、部分的な親和性を感じること(デミジェンダー(demigender))、あるいはジェンダーのスペクトラム全体に同時に親和性を感じること(パンジェンダー(pangender))を意味することもあります。
また、どのジェンダー・アイデンティティにもまったく親和性を感じないこと(アジェンダー(agender))や、男性とも女性とも関係づけられないジェンダー・アイデンティティに強い親和性を感じること(アポラジェンダー(aporagender) などはその一例ですが、これに限りません)を意味することもあります。
ノンバイナリーの人の中には、あるジェンダーの一部の側面には親和性を感じるけれど、ほかの側面には感じない、という人もいます。たとえば、デミガール(demigirl)とは、出生時に女性と割り当てられた人で、女性であることや女性性に部分的なつながりしか感じない人かもしれません。あるいは、出生時に男性と割り当てられた人で、身体的違和を和らげるためにホルモン療法(HRT)を受けており、女性の表現型を持っているけれど、女性であることの社会的な側面には強いつながりを感じない人かもしれません。
おおまかに言えば、本書では、二元的なアイデンティティ(男性/女性)とノンバイナリーのアイデンティティとを対比させるかたちでジェンダーを説明していきます。ただし、これはあくまで記述を簡潔にするためのものです。同じように、ここで挙げたノンバイナリーのアイデンティティの一覧も、すべてを網羅したものではありません。ジェンダーの経験と表現の奥行きは、こうした単純な区分よりも、はるかに、はるかに複雑なものだということを、どうか知っておいてください。# 性別違和の歴史
1948年、著名な性科学者であるアルフレッド・キンゼイ博士(そう、あのキンゼイです)のもとに、ある女性から連絡がありました。男の子として育てていたその子が、自分は本当は女の子なのだ、何かがひどく間違っているのだ、と頑なに訴えていたのです。その母親は、娘を抑え込もうとするのではなく、彼女が自分自身の本来の姿になれるよう手助けしたいと願っていました。キンゼイは、この子の力になれるかもしれないと考え、ドイツ出身の内分泌学者ハリー・ベンジャミン博士に連絡を取りました。ベンジャミン博士は、この10代の若者のためにエストロゲン療法のプロトコルを作成し、外科的な支援を受けられるよう家族とともに奔走しました。
その後、ベンジャミンはプロトコルをさらに洗練させ、そのキャリアを通じて、同じような感覚を抱える何千人もの患者を治療しました。彼は治療に対する報酬を受け取ることを拒み、代わりに患者たちに安らぎをもたらしたこと自体に満足を見いだし、彼らの治療を通じてこの状態への理解を深めていきました。そして1973年、彼はこの不一致の感覚を表す言葉を生み出しました。それが**性別違和(gender dysphoria)**です。残念ながら、この言葉がアメリカで使われるようになるのは2013年のことで、それまでアメリカ精神医学会は代わりに「性同一性障害」という用語を採用していました。
もしあなたがこれを読んでいるトランスの人なら、ハリー・ベンジャミンという名前を耳にしたことがあるかもしれません。ただ、おそらく好意的な文脈ではなかったでしょう。1979年、彼の名前は(本人の許可を得て)ハリー・ベンジャミン国際性別違和協会(HBIGDA)の設立に冠されました。この協会は、トランスジェンダーの人々のためのケア基準(SOC)を発表しています。このケア基準(SOC)はやがて「ハリー・ベンジャミン・ルール」として知られるようになり、性別違和の診断方法に関して、悪名高いほど制限的なものでした。患者は、その苦痛と性的機能不全の程度に応じて、6段階のスケールに当てはめられました。「真のトランスセクシュアル」とされる第5段階以上に位置づけられなければ、たいていの場合、治療は拒否されたのです。
問題は、第5・第6段階に当てはまるには、自分の出生時の性別と「同じ」性別だけに惹かれていなければならない、という条件があったことでした。トランジションは、あなたをゲイではなく異性愛者に「しなければならない」ものとされ、バイセクシュアルは認められませんでした。さらに、自分の身体や性器に対して強い苦痛を感じていなければならず、しかも治療を受ける前から、すでに本当のジェンダーとして生活していなければならないとされました。多くのトランスの人々は、コミュニティ内での助言や、演技的な自己表現を通じてこうした制約をかいくぐりましたが、多くの人にとって(私自身も含めて)、すべての基準を満たしていなければ、自分はトランジションできるほど十分にトランスではないのだと思い込まされてしまったのです。
2011年、HBIGDAは、トランスジェンダーへの理解と受容をめぐって高まる圧力に応えるべく組織を再編し、世界トランスジェンダー・ヘルス専門家協会(WPATH)という新しい名称を採用しました。実際のトランスジェンダー当事者の助言のもと(これは同組織にとって初めてのことでした)、WPATHはまったく新しいケア基準(SOC第7版、10年ぶりの改訂)を発表しました。この基準はベンジャミン・スケールを廃止し、個々人の具体的な症状に焦点を当て、ジェンダーとセクシュアリティを完全に切り離しました。その2年後の2013年、アメリカ精神医学会は『精神疾患の診断・統計マニュアル(DSM)』第5版の診断基準をWPATHのケア基準(SOC)に合わせて変更し、性同一性障害を性別違和に置き換えました。この変更によって、アメリカのすべてのトランスの人々が医療的トランジションを受けられるようになったのです。
この10年で、世界中でトランスジェンダーの存在感が突然爆発的に増したのには、こうした経緯があるのです。アクセスしやすくなれば人数が増え、人数が増えれば可視性が高まり、可視性が高まれば認知が広がり、認知が広がれば、より多くの人が治療にたどり着くようになります。2014年に行われた調査では、アメリカの成人の0.6%、若者の0.7%が自分をトランスジェンダーだと認識していました。2016年に行われた調査では、高校生年代の生徒の1.8%が自分をトランスジェンダーだと認識しており、2017年にGLAAD(米国のLGBTQ擁護団体)が実施した調査では、18歳から34歳の回答者のうち、なんと12%が自分をシスジェンダーだとは認識していませんでした。
トランスジェンダーの人々は、あちこちから次々と姿を現しています。私たちは、どこにでもいるのです。
では、性別違和とは何でしょうか?
シスジェンダーの人にもトランスジェンダーの人にも共通してよくある誤解として、性別違和とは自分自身の身体に対する違和感だけを指す、というものがあります。しかし、身体への違和感こそが性別違和の中心だ、というこの考えは、実のところ誤解であり、性別違和の診断において主要な構成要素ですらありません。性別違和は、人生のあらゆる側面にまたがって現れます。たとえば、自分が他者とどう関わるか、他者が自分とどう関わってくるか、どんな服を着るか、どう振る舞うか、社会のなかにどう収まるか、自分を取り巻く世界をどう感じ取るか、そして、そう、自分自身の身体とどう向き合うか――そうしたすべてに及ぶのです。そのため、WPATHのケア基準(SOC)第7版やDSM-5を支持する人々は、「トランスジェンダーであるために、性別違和を抱えている必要はない」と口癖のように言うようになりました。この言葉は、まるでマントラのように繰り返し唱えられます。身体に大きな違和感を覚えない人であっても、自分はトランスジェンダーかもしれない、と気づけるようにするためです。
原則として、性別違和とは、自己に内在する「何かが間違っている」という感覚です。この「間違っている」感覚に論理的な裏づけはなく、それを説明してくれるものは何もありません。なぜそう感じるのかを言葉にすることもできず、ただそこにあるのです。自分の存在のなかの何かが正しくない――そして、具体的に「何が」正しくないのかを正確に突き止めることすら難しい場合もあります。
私がよくしていた説明は、子どものときに大人用の手袋をはめるようなものだ、というものです。手袋に手を入れることはできるし、指も手袋の指の部分にちゃんと収まります。けれど、その手袋をはめた手の器用さは、ひどく損なわれてしまいます。何かを拾い上げることはできても、大人のように自在に扱うことはできません。何もかもが、どこかしっくりこないのです。
エヴィー・ウィンターズは、彼女の「違和」についての投稿のなかで、こう表現しています。
公共の場や、かしこまった場所に座っているときに、突然、足の裏がかゆくなったことはありませんか。その場で靴を脱いで掻くわけにもいかず、かゆみがどんどん、どんどんふくらんでいくのを、内側で死んでいくような気分で耐えるしかありません。やがては、次に話しかけてきた人を殺してしまいそうなくらいに。
あるいは、私が子どものころの話です。学校に行く前の朝、いつもケーブルテレビを見ていました。90年代初頭のウェストバージニア州の田舎のケーブルテレビだったので、メープルのオートミールを食べながら好きな番組を見ようとお気に入りのチャンネルをつけると、たまに『パワーレンジャー』が映っているのに、音声は別の局(たいていは天気予報チャンネル)のもの、なんてことがありました。映像は問題ない。音声も問題ない。でも、その二つがずれている、あの感じ。あれは、子どもにとって一日じゅう付きまとう、あの種のいら立ちなのです。
キリッと冷えた爽やかなダイエットコークを頼んだのに、店員に「ペプシでもいいですか?」と言われたときの、あの感じです。
何かが間違っていると分かっているのに、それについて何ひとつできない――そういう感覚なのです。
性別違和とは、その核心において、「何かが合っていない」と脳が気づいていることに対する、単なる感情的な反応にすぎません。この不一致は脳のサブシステムのあまりに奥深くにあるため、何が問題なのかをはっきりと知らせるメッセージは存在しません。それを特定する唯一の手がかりは、それが引き起こす感情です。私たちの意識は、現在の環境が自分の内なる自己感覚とどれだけ一致しているかに応じて、肯定的なフィードバック(高揚感)あるいは否定的なフィードバック(違和)を受け取ります。トランジションの過程には、こうしたシグナルを認識できるようになることも含まれます。
シスジェンダーの人もまた、こうしたシグナルを受け取っています。ただ、そのシグナルはたいてい環境と一致しているため、当たり前のものとして気にも留めずにいられるのです。とはいえ、シスジェンダーの人が性別違和を経験するような状況に置かれた、よく知られた例もいくつかあります。シスジェンダーの子どもを反対の性別として育てようとする試み(閲覧注意:自殺)は、その子がやがて必ず「自分はそうではない」と宣言することで、つねに失敗に終わってきました。
こうした高揚感と違和、興奮と嫌悪の衝動は、どれもさまざまな形で現れます。あからさまなものもあれば、ずっと微妙なものもあります。違和は時間とともに変化するものでもあり、自覚する前の段階から、理解へ、そしてトランジションへと進んでいくなかで、新たな形をとっていきます。この本の目的は、こうした現れ方を別々のカテゴリーに分類して説明し、他の人たちがそれらを認識できるようになることです。
ただ、その前に、どうしても強調しておかなければならない、とても大切なことがあります。あまりに大切なので、大きな太字で書いておきます。
トランスの人は一人ひとり、違和の原因も強さもまったく異なる組み合わせを経験している
ただ一つの「トランスの経験」などというものは存在しません。標準的な感情や不快感のセットなどというものもありません。ただ一つの「正しいトランスの物語」など、存在しないのです。トランスの人は誰もが、それぞれのやり方で、それぞれの程度に違和を経験します。そして、ある人を悩ませるものが、別の人を悩ませるとはかぎらないのです。
さて、この前置きはこれくらいにして、いよいよ本題に入りましょう。# 性別高揚感
Eu·pho·ri·a - 名詞
強い高ぶりと幸福感、あるいはそうした状態。歓喜、喜び、はしゃぎ。
苦しさについて語る前に、まずは安らぎについて語らせてください。性別高揚感は、それ自体が性別違和のしるしなのです。「どうして幸福が悲しみになりうるの?」と思うかもしれません。その答えはとてもシンプルです。
ある人が洞窟の中で生まれたと想像してみてください。その人は生涯をずっと地下で暮らし、明かりといえばろうそくと油ランプだけ。一度も地上に出たことがなく、地表が存在することすら知りません。ところがある日、横道のトンネルで落盤が起こり、地上へと通じる穴が開きます。日の光が穴から差し込み、最初はそのまぶしさに、その人は怖くなって逃げ出してしまいます。やがてその人は穴のところへ戻り、目が光に慣れてくるにつれて、穴の向こうをのぞき込みます。すると、存在することすら知らなかった色彩であふれた、明るく輝かしい世界が広がっていたのです。
その世界は恐ろしく、果てしなく、未知でいっぱいです。だからその人は安全を求めて洞窟の奥へと這い戻ります。けれど、あの穴はそこにあり続け、そばを通るたびに光が目に入ります。少しずつ、その人はのぞく回数を増やし、穴から離れたところまで足を伸ばすようになります。やがてその光を求めるようになり、もっと頻繁に光のもとを訪れる口実を見つけ始めます。
そしてついに、もうあの穴の中へは戻りたくないのだと気づきます。家族や友人がいるのはそこなので、戻らなければなりません。でも、こちらの世界のほうがずっとよくて、ここにとどまっていたい。穴の中へ戻ることがどこか間違っているように感じられ、暗闇の中に長くいることが、だんだんと苦しくなっていくのです。
性別高揚感とは、まさにこういうものです。最初はまぶしすぎて受け止めきれず、理解するにはあまりに戸惑うような、ほんの一瞬の光のきらめき。けれど時が経つにつれてその光に慣れていき、こここそが自分の居場所なのだと気づきます。そして、暗闇のほうが違和へと変わっていくのです。
多くのトランスの人は、ほんの小さな安らぎを見つけるまで、自分がどれほどの痛みの中にいたのかに気づきもしません。コスプレ、舞台での演技、ドラァグ、ロールプレイングゲーム、ビデオゲーム——それまで生きてきたのとは違うジェンダーへ、ほんの少しだけ足を踏み入れてみること。すると、それがほんのわずかに心地よく感じられることに気づくのです。なぜそうするのか、人は言い訳をひねり出します(「どうせこのキャラのお尻を眺めるなら、女の子のお尻のほうがいいでしょ」とか)。あるいは、全部ただの楽しみだとか、芸術的な表現なのだと自分を納得させようとします。違う代名詞で呼ばれたときに感じるわずかな喜びも、ただの目新しさだと自分に言い聞かせるかもしれません。でも、ほどなくして、もっと頻繁にそれを味わうための理由を探している自分に気づきます。ますます頻繁に違う性別のキャラクターを演じ、衣装を増やし、服をもっと買い、もっと頻繁に演じるようになる。気がつけば、いつもそうしていたいと思うようになっている——だって、本当の生活よりもそのほうが心地よいのですから。そして「あなた自身」でいることが、しだいに苦しくなっていきます。やがて、かつてのあなたのほうこそが衣装になってしまうのです。
これこそが、私たちがコミュニティとして「トランスであるために違和は必要ない」と言う、もっとも根本的な理由です。黒いキャンバスに黒いインクで描かれた絵は、よほど目を凝らし、強い光を当てなければ見えてこないものなのですから。
違和の源になりうるものには、それと等しく対をなす高揚感が必ず存在します。
たとえば——
- 正しい性別として扱われること
- 自分で選んだ名前で呼ばれること
- 自分の性別に合った服を着ること
- 自分の身体の変化を見たり感じたりすること
- 鏡の中の自分を見ること(離人感が消えること)
- 性別への期待に沿ったかたちで人と交流すること
- 男性的/女性的/中性的なスタイルに髪を切ること
- 脚の毛を剃ること
- 脚の毛を剃らないこと
- 割り当てられた性別のせいで本来なら入れてもらえないものに加われること(たとえばブライダルシャワー(花嫁を祝う女性だけの集まり)やバチェラー・パーティー)
- 自分の性別やセクシュアリティに沿ったかたちでセクシーだと感じること/セックスをすること
ただ自分自身として世界に出て、自分自身として見られるというだけで、計り知れないほどの高揚感を覚えることもあります。
高揚感とは違うもの——それは、性的な高ぶりや興奮、フェティッシュではありません。高揚感が性的な反応を引き起こすこともありますし、そこにはさまざまな要因が絡んでいます(たとえば、自分の身体を心地よく感じることは性的な興奮になりえます)。けれど、高揚感そのものが性的な興奮の源なのではありません。トランスの人は、本当の自分として装ったり振る舞ったりすることで「快感を得ている」わけではないのです。
とはいえ、まだ自分がトランスだと気づいていない人の多くは、自分のジェンダーを表現したり違和をやわらげたりするために、フェティッシュやキンクに頼ることがあります。そうしたキンクのいくつかは、トランジションを経てもそのまま持ち続けられることもあります。それは恥ずべきことではありません。どんなふうに性的な満足を見いだすかは、その人自身のことです。けれど、こうしたものはその人のジェンダーと並んで存在しているのです。トランスの人のジェンダーの感覚はいつまでも続くものであり、日常へと戻ったからといって消えてなくなるものではありません。
身体的な性別違和
「間違った身体に生まれてきた」という表現は、誰もが一度は耳にしたことがあるでしょう。身体的違和とは、自分の身体が示す性的な特徴ゆえに、その形に対して感じる不快感のことです。では、ここで言う身体の特徴とは、具体的にどのようなものを指すのでしょうか。
一次性徴
胎児期に発達する、生殖に関わる中核的な身体的特徴
- 生殖腺
- 精巣
- 卵巣
- 外性器
- ペニス
- 陰核
- 陰嚢
- 陰唇
- 外陰部
- 内部の生殖器官
- 前立腺 / スキーン腺
- 子宮
二次性徴
ホルモンの影響によって、思春期およびそれ以降に発達する、男女で異なるすべての身体的特徴。一般的に、思春期前の子どもでは、これらの特徴は男女でほぼ同じです。
- 脂肪のつき方
- ウエスト、ヒップ、お尻の形
- 太もも、腕、背中
- 頬とフェイスライン
- 筋肉量
- 首、肩、上半身
- 腕と脚
- 腹部
- 骨格
- 身長の範囲
- 足や手の大きさ
- 肩幅
- 胸郭の広さ
- 手足の骨の太さと密度
- 額、眉、頬、顎の骨
- 骨盤の幅
- 肌の質感と色合い
- 音声ピッチと共鳴
- 乳房発育
- 顔の毛
- 体毛(性器と脇を除く)
参考までに
ホルモン療法(HRT)を受けているトランスジェンダーの性器は、シスジェンダーの性器とはまったく異なる働きをするようになります。
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エストロゲンの影響下にあるペニスは柔らかくなり、勃起は目立たなくなり、皮膚は薄くなって、膣壁のように湿り気を帯びはじめます。陰嚢は柔らかくなって色が変わり、会陰縫線がよりはっきりしてきます。無意識の勃起が起こらなくなるため、勃起組織は定期的に使われないと萎縮し、時間とともにペニス全体が縮んでいきます。性的興奮を得るには、振動による刺激がより効果的になります。
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アンドロゲンの影響下にある膣は乾燥しやすく、裂けやすくなります(潤滑が問題になることがあります)。陰核の皮膚は厚くなり、無意識の勃起が起こるようになることで、陰核亀頭は長さも太さも増していきます。陰唇も厚みを増し、毛深くなることもよくあります。ホルモン療法(HRT)を開始すると、陰核が極端に敏感になることがしばしばあります。性的興奮を得るには、摩擦による刺激がより効果的になります。
一次性徴は、外科的介入によってのみ変えることができます。二次性徴のなかにも一方通行のものがあり、元に戻すには医学的介入が必要になります。具体的には、乳房組織の発達や、声帯の変化による声の低音化などです。エストロゲンによって声が女性的になることはありませんし、テストステロンによって乳房が小さくなることもありません(脂肪の減少による変化は別として)。骨格の変化(テストステロンによる骨格の肥大化や、エストロゲンによる骨盤の広がりなど)は、身体がまだ成長している25歳より前にしか起こりません。
一部の二次性徴は外科的に強調することができますし(豊胸術、ボディ・コンタリング、顔面女性化手術/男性化手術など)、まったく変えられないものもあります。
身体的違和は、いくつかの異なるかたちで現れます。ときには、一種の幻肢現象のように感じられることがあります。そこにないはずのペニスや膣の感覚を覚えたり、存在しない子宮に痛みを感じたり、まだ育っていない乳房の不在を胸の上の欠落感として感じたりするのです。
逆に、一種の反転した幻肢効果として感じられることもあります。本来そこにあるべきではないものを、絶えず意識してしまうのです。脳は、乳房の重みや、精巣・子宮の存在といった、予期せぬ感覚入力を受け取ります。そして、それが予期せぬものであるがゆえに、その入力が優先されてしまうのです。
外性器を見たり触れたりしたときに、恐怖や嫌悪として感じられることもあり、感情が爆発してしまったり、その忌まわしい器官を取り除きたいという強い欲求が引き起こされたりします。出生時に女性と割り当てられた者(AFAB)のトランスジェンダーは、月経中に「何かが間違っている」という感覚を覚えたり、自分のホルモン周期に対して異物のような断絶感を感じたりすることがあります。
体毛やひげを強迫的に剃り続けるなど、特定の身体的特徴を取り除きたいという衝動として現れることもあります。逆に、これらの特徴をなんとかコントロールしようと、入念に手入れをするという正反対の衝動として現れることもあります。完璧なひげを保ち続けたり、爪を常にマニキュアで磨き上げていたり、自分の体型を鍛え上げようとジムで何時間も過ごしたり、といったかたちです。
望まない身体的特徴があることで、精巣がんや乳がんなどの病気で否応なくそうした特徴を取り除かざるを得なかった人々を、うらやましく感じてしまうこともあります。重度の性器違和を抱える出生時に男性と割り当てられた者(AMAB)は、自分のペニスを失うような不慮の事故が起きないかと願う傾向があります。
ときには、ただ単に「何かが間違っている」という感覚にすぎず、それをジェンダーやセックス(身体的性別)と結びつけて考えることさえないかもしれません。私自身、人生のほとんどのあいだ、自分の身体が嫌いなのは太っているからだと思い込んでいました。トランジションを始めてようやく、自分の脂肪そのものが嫌だったわけではないと気づいたのです。私が嫌だったのは、男性的な脂肪のつき方でした。ホルモン療法(HRT)がもたらしてくれた女性的な曲線のおかげで、私は自分の身体とずっと調和できているように感じています。
自分の身体に対して感じる違和は、良くも悪くも、時間とともに変わっていく可能性がありますし、実際に変わっていきます。たとえば、多くのトランスジェンダー女性は、自分の性器に何の断絶感も抱かないままトランジションを始めますが、のちにより大きな違和の原因が解消されていくにつれて、もともとの性器の構造に居心地の悪さを覚えるようになることがあります。逆に、顔面女性化手術が絶対に必要だと思い込んでいたのに、トランジションを始めて2年が経つころには、今の自分の見た目でも実は大丈夫だと気づくこともあります。
始めたときよりも多くの変化が必要だと気づくのも、逆に少なくてよいと気づくのも、まったく問題ありません。
自分の身体に嫌いなところが一つもなく、ただもっと女性的に、あるいは男性的に見えたいと願っているだけでも、まったく問題ありません。
自分の身体の一部だけが嫌で、すべての性的特徴を変えたいわけではないとしても、まったく問題ありません。
医学的なトランジションがまったく必要でなくても、まったく問題ありません。身体に対する感覚が、トランジションのすべてというわけではないのです。
身体全体に対する身体的違和は、トランスジェンダーであるための必須条件ではありません。AFABが自分の胸を嫌悪しなければならないわけでも、AMABが自分のペニスを嫌悪しなければならないわけでもありません。トランスジェンダーの経験は一人ひとり異なります。そのどれもが正当なものなのです。
内面化されたボディイメージの問題
世界は、男性と女性の身体がどのような形であるべきかについての、潜在的なメッセージで満ちあふれています。私たちは広告やメディアの集中砲火にさらされ、何が美しくて何が美しくないのかという、標準化された見方を植えつけられていきます。太りすぎてはいけない、痩せすぎてもいけない、背が高すぎてはいけない、低すぎてもいけない、顎が広すぎてはいけない、鼻が大きすぎてはいけない、化粧はしなさい、でもしすぎてはいけない、ブラをつけずに外出してはいけない、でもブラを見せてはいけない――。こうして延々と、ジェンダーに基づく外見への期待が絶え間なく浴びせ続けられるのです。
誰もがこうしたメッセージを取り込んでいきますが、トランスジェンダーは、自分が自認するジェンダーにとって重要とされる要素を内面化していきます。女性性に自認が一致する人は、女性的な基準を自分自身に当てはめながら育ち、男性性に自認が一致する人は、男性的な基準を自分に当てはめながら育ちます。そしてノンバイナリーの人は、アンドロジニー(中性的であること)や、トランジション後に見なされるジェンダーをめぐる恥の感覚を内面化することがあります。これらはすべて、指定性別の基準を満たせていないことに対して、トランスジェンダーが一般的に背負わされている恥の感覚に上乗せされるのです。
その行き着く先には、いったい何が待っているのでしょうか。キャスリン(Kathryn)が、それを実にうまく言い表してくれています。
Kathryn Gibes
@TransSalamander If you're under the assumption that you're a cis guy but have always dreamed of being a girl, and the only reason you haven't transitioned is because you're afraid you'll be an "ugly" girl:
That's dysphoria. You're literally a trans girl already, hon.
Kathryn Gibes
@TransSalamander Don't feel too bad about never realizing it. I just had this eureka moment myself.
But that's literally dysphoria. You feel discomfort being reminded of the disconnect between who you want to be (who you ARE) and what you look like.
人間の身体の一次性徴は、妊娠8週目から発達し始めます。通常、11週目までには超音波検査で胎児の性器を判別できるようになります。しかし、脳が形成されるのは14週目から24週目にかけてです。神経発達に関する現在の主流な見解では、この10週間の間に胎児の血流中にテストステロンが存在するかどうか(Y染色体上のSRY遺伝子によって生成が始まるか、他の供給源から取り込まれるか)によって、脳が男性化するか女性化するかが決まるとされています。このプロセスによって、脳はエストロゲンを求めるパターンか、アンドロゲンを求めるパターンのどちらかに固定されます。
もしあなたの脳が一方の性腺ホルモン(たとえばテストステロン)を求めるように配線されているのに、身体がもう一方のホルモン(たとえばエストラジオール)を産生しているとしたら、脳内の化学物質の働きに不具合が生じる可能性があります。これによって、一種のブレインフォグ(頭にもやがかかったような状態)が生じます。思考力が低下し、全般的な不安や落ち着かなさに包まれるのです。これこそが、医療的なホルモン療法(HRT)によってしばしば和らぐ最初の2つの症状、すなわち**離人感と現実感喪失(DPDR)**の源です。
離人感とは、自分自身の身体から切り離されている感覚のことです。鏡に映る人物が本当に自分自身なのだと信じられなくなります。自分の身体の中にいる別の誰かを眺めているような気分になります。自分の身体に何が起きてもどうでもよくなり、体重の変化や体力づくりにも無関心になるかもしれません。自分を人生のあちこちへ運んでくれるこの肉の乗り物が、自分のものだという実感を持てないからです。
ジニア・ジョーンズ(Zinnia Jones)は、離人感について次のように説明しています。
- 自分自身の思考、感情、身体から切り離され、疎外されているように感じる ―― 「感情があるのはわかっているけれど、それを感じられない」
- 自分が2つに分裂しているように感じる。一方は世界に参加して動いているふりをし、もう一方は静かにそれを観察している ―― 「歩き回っている身体があって、誰か別の人がただそれを眺めているだけ」
- 自分という存在が「非現実的」であるか、不在であるように感じる ―― 「自分というものがない」
- 世界が遠く、夢のようで、もやがかかり、生気がなく、色あせて、人工的で、奥行きのない絵のように、現実味のないものとして経験される
- 自分自身に没頭し、強迫的に自己を吟味したり、極端に思い悩んだりする
- 自分自身と、絶え間なく理路整然とした対話を続けている
- ベールやガラスの壁が、自分と世界を隔てているように感じる
- 頭に綿が詰まっているような、感情的または身体的な麻痺
- 主体性の欠如 ―― のっぺりとした、ロボットのような、死んだような、あるいは「ゾンビ」のような感覚
- 物事を想像することができない
- はっきりと考えることはできるのに、自分の思考や世界の経験から何か本質的なものが欠落しているように感じる
- 人生から切り離されている感覚があり、創造的かつオープンに世界と関わることが妨げられている
衣服や身だしなみについて、最低限の実用性だけを満たし、外見にほとんど気を使わなくなることもあるでしょう。逆に、外見に過剰にこだわるようになることもあります。なんとかして喜びを、自分の身体に対する誇りのような感情を少しでも呼び起こそうとして ―― しかし結局は、さらなる虚しさに直面するだけなのです。
自分の人生への執着がほとんどないため、身体の状態を気にかけなくなり、ことによると死すら恐れなくなるかもしれません。
Nightling Bug
@NightlingBug You have an underlying sense that you are "not like" most people. Your friends might get you, but you draw an instinctive and unconscious line between you and "normal" people. When you interact with a "normal" person, you're not sure what to say or how to act.
Nightling Bug
@NightlingBug You find it hard to prioritize your own feelings. You're aware of emotions you *should* be feeling, but they're distant and fake-seeming. When someone else is upset, it's much more real and urgent. You believe this is just your stoic, protective nature.
Nightling Bug
@NightlingBug You often feel directionless in life. When asked about career goals in High School, you didn't really care about your answer. Even careers centered in your interests seemed kind of intolerable. You struggle to imagine a future for yourself where you are happy or fulfilled.
Nightling Bug
@NightlingBug You only take steps to better your life when external forces *make* you. You'd rather withdraw and self-minimize and focus on escapist hobbies. You're just not motivated to attain nice things for yourself. (You tell yourself that this is a zen acceptance, a freedom from desires.)
現実感喪失とは、自分を取り巻く世界から切り離されている感覚 ―― 自分が知覚するものすべてが偽物であるという精神的な感覚のことです。
- ずっとそこにいたとしても、まるで誰かが自分の家を舞台セットとすり替えてしまったかのように、周囲の環境が異質で、見慣れないものに感じられる。
- 世界の中を進んでいくのが、ランニングマシンの上を歩いているように感じられる。自分が建物の間を通り抜けているのではなく、建物のほうが自分の周りを動いているように感じる。
- 大切に思っている人たちから、感情的に切り離されているように感じる。まるでガラスの壁で隔てられているかのように、あるいはその人たちが、本人を演じているだけの役者であるかのように。
- 周囲が歪んで、ぼやけて、色あせて、二次元的に、あるいは人工的に見える。または逆に、周囲の環境に対する認識や鮮明さが異常に高まる。たとえば、木の葉の縁がやけに鋭く感じられる、というように。
- 時間感覚の歪み。たとえば、最近の出来事が遠い過去のように感じられる。
- 距離や、物の大きさ・形の知覚の歪み。
- 自分の人生の出来事において、受け身の傍観者になっているように感じる。
もし『マトリックス』や『トゥルーマン・ショー』に強く共感したことがあるなら、あなたは現実感喪失を経験しているのかもしれません。これは、自分はこの社会に属していないという、別世界にいるような感覚として現れることもあります。ただ歩き回りながら、自分の超能力が目覚めるのを、あるいはホグワーツからの入学許可証を持ったフクロウが飛んでくるのを待っているような感じです。10代の頃の私は、『アウター・リミッツ』のあるエピソードに夢中でした。それは、ある少年が自宅の地下で宇宙船を見つけ、自分も両親も実は人間ではなかったと知る、という話でした。
DPDRは、感情の鈍化を伴うこともあります。笑ったりユーモアを感じたりすることはできても、心からの喜びを感じることはめったにありません。悲しみや喪失の瞬間には、ただ感覚が麻痺し、それを引き起こした出来事から解離してしまいます。これは逆の方向に振れることもあります。あまりに強い不安を抱えているため、感情の反応がきっかけに対して極端に不釣り合いになり、ほんの些細に見える出来事から激しく泣き出したり、暴力的に感情を爆発させたりしてしまうのです。
ここで重要なのは、DPDRは性別違和に特有のものではないということです。この状態は、慢性的なうつ病、強迫性障害、境界性パーソナリティ障害など、他のいくつかの精神疾患と併存します。DPDRそれ自体を単独で性別違和のサインと受け取るべきではありません。それは単に、何かがひどく間違っているという大きな警報にすぎないのです。また、見分け方さえわかれば、通常は外から見てもかなりわかりやすいものです。DPDRを抱えている人は、世界の中を動き回る際に、はるか遠くを見つめるような目をしている傾向があります。その目はあまりにどんよりと生気がなく、まるで抜け殻のように見えます。トランジションのタイムラインで最もよく見られるコメントのひとつが、目にどれほど輝きが戻ったか、というものです。
満ち引き
身体的違和や生化学的違和の強さは、体内の他の要因に大きく影響されます。それは内分泌バランスの働きによるものなので、そのバランスによっても操作されます。つまり、日によって強くなったり弱くなったりする可能性があるということです。たとえば、
- 血糖値が乱れていたり、甲状腺疾患があったりすると、違和が急増することがあります。
- 刺激薬の服用をやめたことでドーパミンの離脱症状が起きていると、違和が悪化することがあります。
- SSRI系の抗うつ薬を飲み始めてセロトニンの量が増えると、違和が和らぐことがあります。
- 精巣のあるトランスフェミニンな出生時に男性と割り当てられた者(AMAB)は、惹かれる気持ちや欲求に関連してテストステロンが急増することがあり、それによって違和が強まることがあります。
- 卵巣の働きを抑えていないトランスマスキュリンな出生時に女性と割り当てられた者(AFAB)は、月経周期の経過に伴ってエストロゲンやプロゲステロンが増減するため、周期の何日目にいるかによって違和が強まったり弱まったりします。
体内には連動して働くシステムが何十もあり、それらはすべて日々変動しながら、全体的な精神状態を操作しています。この全般的な違和は、他のすべての違和の影響を増幅させる可能性があります。ある日はミスジェンダリングされても何でもないことのように受け流せるのに、次の日には、そのたびに心臓を刺されるように痛むことがあります。ある日は鏡の中に自分自身が見えるのに、次の日には、かつての自分を見つめていることになります。
これをジェンダーフルイドな形で経験する人もいます。ある日は男性寄り、ある日は女性寄り、また別の日はどのジェンダーも感じない、あるいは両方を感じる、というように。一方、季節によって変わる川のようにこれを感じる人もいます。上流に降った雨で水かさが増すこともあれば、干ばつのせいでちょろちょろとした流れにまで弱まることもある、というように。
これらはすべて妥当な感覚です。ある日はとても強く違和を感じて、次の日には違和を感じなかったとしても、それはあなたが本当はトランスではない、ということを意味するわけではありません。
これは双方向に起こる
Secret Gamer Girl @SecretGamerGrrl Worth noting that in the event a confused cis person were to attempt medical transition without being stopped by any of the absurd number of gate keepers and actual medical professionals whose sign-off is typically needed, here's what would happen: They take some pills, or a shot
Secret Gamer Girl @SecretGamerGrrl which will then proceed to make them feel absolutely awful, like pouring sugar into the gas tank of their brain. At which point one assumes they would immediately cease taking the hormone supplements they did not actually need and resume a normal life with no lasting consequence
Secret Gamer Girl @SecretGamerGrrl Should a REALLY stubborn and confused cis person ignore feeling like total garbage and keep on taking HRT they shouldn't be taking for several months, they might also experience some acne and/or their skin clearing up and looking great, and a woman might start growing facial hair
Secret Gamer Girl @SecretGamerGrrl a man in such a position might deal with gynecomastia after like, a year or so, give or take, of again, feeling like complete garbage from taking unneeded estradiol supplements. Anyone, in a similar timeframe, might be looking at their genitals acting like the wrong sort, which
Secret Gamer Girl @SecretGamerGrrl again, I kinda figure is something where one would go "hey this ain't right" and just stop taking the medication they are misusing. Where, again, things would just then go back to normal.
Oh and all of this is me talking about HRT. Usually what bigots are doing is talking about
Secret Gamer Girl @SecretGamerGrrl puberty blockers as if they were HRT. If some confused cis kid takes puberty blockers the grand total of what would actually happen is.. not starting puberty until they realized they were taking them for no particular reason and stopped. No side effects of any sort to worry about
ホルモン療法(HRT)を受ければ必ず精神的健康が改善するのだと主張する、否定派の声を耳にすることがあるかもしれません。私自身、母にカミングアウトしたときにこれを言われました。「エストロゲンは誰でも幸せにするのよ」と。これはまったくの誤りです。シスジェンダーの人に交差ホルモン療法(HRT)を行うと、必ず違和が生じます。スピロノラクトンが男性にほとんど処方されない理由のひとつもこれです。抗アンドロゲン薬の作用が精神的な不安定を引き起こすからです。シスジェンダー女性の5〜10パーセントは多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)を患っています。これは卵巣がエストロゲンの代わりにテストステロンを産生してしまう状態です。そうした女性の誰かに、精神的な健康状態はどうだったかと尋ねてみてください。きっと、さんざん苦労話を聞かされることでしょう。
これを非常に強力に示しているのが、デヴィッド・ライマーの痛ましい事例です。生後7か月のとき、デヴィッドと双子の兄弟は、重度の包茎(包皮の皮膚疾患)を治療するために包皮切除術(環状切除術)を受けました。デヴィッドの手術はひどく失敗し、陰茎が破壊されてしまいました。そこで、腟形成術を行い、思春期にはエストロゲン療法を施したうえで、彼を女の子として育てるという決定が下されました。13歳になる頃には、彼は自殺願望を伴う深刻なうつ病に陥り、ひどく苦しんでいました。どれほど指導し、励ましたところで、男の子に女の子であることを楽しませることなどできなかったのです。両親が彼に事の顛末を打ち明けると、彼は男性としての装いに戻り、テストステロン療法に切り替え、10代を通じて男性へ戻るトランジションのために何度も手術を受けました。
自分が間違ったジェンダーで生きているとき、人はそれに気づくものなのです。
心理学者のジョン・マネーがデヴィッドの事例を監督しており、デヴィッドの養育において下された決定の大部分に責任を負っていました。名を上げようとしたマネーは、デヴィッドの事例を大々的に偽って報告し、自身の報告書の中でそれを完全な成功例だと称しました。その影響は今日にまで及んでいます。マネーの報告書は、インターセックスの乳児に生殖器の矯正手術を行うことが適切な対応である理由の例として用いられたからです。50年が経った今でも、子どもの生殖器を変えてそのジェンダーで育てさえすれば、それで定着するのだと信じている医師たちが存在しているのです。
これがインターセックスコミュニティの悲劇です。およそ60人に1人の割合で、何らかのインターセックスの状態で生まれてきます(ただし、そのすべてが生殖器に関係するものとは限りません)。インターセックスの子どもに対して行われる「矯正」処置は、しばしば機能や感覚、あるいはその両方の喪失につながります。そしてあまりにも頻繁に、医師たちは強制的に女性に割り当てることを選んできました。陰茎を作るよりも、外陰部を作るほうが容易だったからです。# 対人的違和
Nightling Bug
@NightlingBug When you interact with very masculine men, you're nervous. You don't really know how to carry on a conversation with them, or want to. You feel an expectation, from them, to be something you're not. You quietly judge them for being too "bro"-y, "basic."
Nightling Bug
@NightlingBug Being vulnerable around strange men is terrifying. You're anxious when you use the public men's room. Changing in a gym locker room is unthinkable. You do not feel ownership of these spaces. You are very concerned about strange men observing you, or your body.
Nightling Bug
@NightlingBug You're awkward at social touch. You might crave touch, like most people, but you feel like you're almost entirely incapable of receiving it warmly. When giving a hug, something about your torso feels like it will be *offensive* to others. (Whatever it is, they don't notice.)
Nightling Bug
@NightlingBug You can't talk about sex, or attraction, or the bodies of people you're supposed to be attracted to. Even when your commentary is solicited, everything you could say feels unwanted and inappropriate, even if it'd be fine coming from someone else. You freeze up.
Nightling Bug
@NightlingBug You struggle even to voice innocent physical compliments to others, like "Looking good!" You are hyper-aware that virtually anything could sound like unwanted sexual attention, coming from you. You feel like your attention is uniquely, universally unwelcome.
Nightling Bug
@NightlingBug When an AFAB friend expresses disapproval, you're devastated. You scramble to get their approval back. You're worried you're coming across as a simpering "nice guy," all of whom you despise. You just value your AFAB friends' opinions more highly, for reasons you can't explain.
対人的な性別違和は、すべてひとつの中心的な問いを軸に回っています。それは「周りの人は、私をどの性別だと思っているのだろう?」という問いです。対人的違和(social dysphoria)とは、他者との直接のやり取りの中で生じる違和のことで、外の世界が自分をどう認識し、他人が自分をどう呼び、そして自分が他人をどう呼ぶことを期待されるか、にまつわるものです(社会の制度や通念から生じる「社会的違和」とは区別されます)。これは、トランスの人が自分自身の性別に気づく前と、トランスとしての目覚め(自分の殻を破ること)を経たあととで、感じられ方が違ってきます。
まだ何も見えていない段階では、ただ「他の人とのやり取りの中で、何かがしっくりこない」という感覚だけがあります。自分と同じ指定性別の人たちは、自分には自然に思えないやり方で互いにやり取りしているように見えます。彼らのふるまいや身ぶりは奇妙で意外に感じられる一方、自分の本当の性別の人たちとのやり取りのほうが楽に感じられます。より自分の真実に近い人たちとのほうが、心が通じ合うのです。
たとえば、出生時に男性と割り当てられた(AMAB)トランスの人は、男性の集団の中でとても居心地の悪さを感じることがあります。場違いに感じられ、男性の仲間にうまく馴染めずに苦労するかもしれません。男性的なやり取りは自然にはできず、男友達を真似ようとしてもぎこちなく感じます。むしろ女性との友情に強く惹かれることもありますが、男女のあいだに働く社会的・異性愛的な力学に阻まれて、純粋な友人関係を結べずに苛立つことになります。そもそも女性のほうが友達になろうとしてくれれば、の話ですが。女性がはなから自分を避けようとするとき、深く傷つくこともあるのです。
ノンバイナリーの人の中には、男性とのやり取りでも女性とのやり取りでも、対人的な不一致を感じる人がいます。それは、自分の性別表現を変えても消えずに残ることがあります。
この「何かが間違っている」という感覚は、自分の中の不一致をますますはっきりと自覚するにつれて強まっていき、自分が本当は何者なのかに気づいたとき、新しいかたちを取ります。バイナリーのトランスの人にとって、それはしばしば、男性であれ女性であれ、自分の本当の性別として見られたいという強い欲求として現れます。ノンバイナリーの人の中には、これをむしろ性別高揚感として経験する人もいます。男性とも女性とも見なされず、性別を特定しない言葉遣いで呼ばれることや、同じ場で人によって異なる性別に読み取られることに、喜びを感じるのです。中には、周りの人が自分の性別を読み取れずに困惑するときに、強い性別高揚感を覚える人もいます。
対人的違和において、代名詞やミスジェンダリングは大きな問題となります。自分の性別と合わない she、he、him、her といった性別のある代名詞で呼ばれることは、ものすごく不快なものです。たしかに、これはシスジェンダーの人を含むすべての人に当てはまります。けれども、シスの人がミスジェンダリングされて「侮辱された」と感じるのに対し、トランスの人は「傷ついた」と感じます。それは黒板を爪で引っかく音や、スチールウールで肌をこすられるような感覚なのです。間違った代名詞を耳にすることは、いま話している相手が、自分を本当の性別として認識していないのだという事実を、突きつけられることなのです。
ジェンダーニュートラルな代名詞でさえ、自分に合う代名詞を相手が避けているのだとはっきり分かるような使われ方をすると、バイナリーのトランスの人にとっては落ち着かないものになり得ます。これはしばしば、自分がトランスジェンダーだと読み取られていて、相手がどの代名詞を使えばいいのか分からない、というサインです。代名詞を尋ねてもらえればこの状況はすぐに解決しますが、ここに逆説があります。そうした場面でさえ、代名詞を尋ねられること自体が、トランスだと気づかれてしまったという違和を呼び起こすことがあるのです。いわば八方ふさがり(catch-22)です。
単数の they もまた、トランス嫌悪的な人が、正しい代名詞を使うことは拒みつつも、間違った代名詞を使えば咎められると分かっている場合に、悪意をもって使われることがあります。口調と意図が、とても大きな意味を持つのです。
同じことは名前にも当てはまります。自分で選んだ名前ではなく、与えられた名前(デッドネーム)で呼ばれることは、無自覚にそうされた場合でも自分の存在を否定されたように感じられ、意図的にそうされた場合には、あからさまに切り捨てられたように感じられます。
これは、まだ指定性別で生活している最中に、自分の本当の性別として扱われたことへの喜びや気恥ずかしさとして現れることもあります。たとえば——
- AMAB の人が、侮辱のつもりで「女の子」と呼ばれたのに、怒るどころか頬を赤らめてしまう。
- AFAB の人が「Sir(男性への敬称)」と呼ばれて、かえって嬉しくなる。
Dr. Emmy Zje @Emmy_Zje The irony in “trans women mimic gender stereotypes” is the only time I DID mimic stereotypes was when I was forced to interact with men. And I did so out of a sense of survival and a longing to try and fit in.
I didn’t transition into stereotypes…I transitioned out of them.
対人的違和による不快さは、トランスの人を、自分が本当に名乗っているとおりの人間なのだと世間に納得させようとして、大げさにふるまったり装ったりするよう追い立てることがあります。トランスフェミニンな人は、メイクや女性的な服装に力を入れ、控えめに見えるよう口数を減らし、高めの声で話すようになるかもしれません。トランスマスキュリンな人は、男性的な服装スタイルに頼り、背筋を伸ばして立ち、感情を表に出すのを抑え、大きな声で話し始め、意図的に声を低くするようになるかもしれません。ノンバイナリーの人の中には、あからさまに男性的・女性的に見えないよう、自分の見せ方を意識的に変える人もいます。それは、似たような身体を持つバイナリーのトランスの人が用いる手法と重なることもあれば、あえて互いに矛盾するジェンダーの手がかりを強調してみせることもあります。
身体的違和と対人的違和
ある身体的な特徴が、あるトランスの人にとっては常に不快さの種であっても、別の人にとっては対人的違和としてのみ現れる、ということがあります。たとえば、自分の見た目を気にするのはそれがミスジェンダリングやクロッキング(トランスだと読み取られること)につながるときだけで、いつも本当の性別として見られ扱われる環境の中でなら、まったく心地よくいられるという人もいます。
私自身は、自分の声に直接の身体的違和はありません。それどころか、生まれ持ったバリトンで歌うのは本当に楽しいですし、家族だけと家にいるときは声を自然なままにくつろがせています。けれども外に出ているときは、女性らしい声で話せることが、見知らぬ人から女性として見られるうえで決定的な役割を果たします。だから私は、その声を女性らしい響きに鍛え上げることに多くの努力を注いできました。電話に出た瞬間や、家を出た瞬間に、私の女性の声はスイッチが入ります。もはや意識してやっていることですらないのです。
「あなたも仲間だ!」
とても興味深く、そして驚くほどよくある現象として、クローゼットにいるトランスの人どうしが、本人たちもそうと気づかないまま、互いを見つけ出す傾向があります。私が何度も繰り返し耳にしてきた面白いパターンがあります。ある友人グループの一人が自分はトランスジェンダーだと気づいてトランジションを始めると、それがきっかけとなって、グループの他のメンバーも自分はトランスだと気づき、同じようにカミングアウトしていく、というものです。
kiva @persenche @Whorrorer i can know a cis woman for a year and not feel like i'm all that close to her.
i can know a trans woman for three hours and feel like i've known her my whole life.
トランスの人どうしは、無意識のうちに互いの友情へと引き寄せられていく傾向があります。それは、自分たちと同じように考え、ふるまい、偏見を持たずに接してくれる仲間を求める気持ちからでもあり、社会的に疎外されてきたという連帯感からでもあります。もちろん、これはトランスの人だけに限ったことではなく、あらゆるクィアな人たちにも起こることですが、それが波紋のように広がっていくさまには、なかなかの力強さがあります。これは、友人グループの一人が口火を切ったことに呼応して、グループ全員が結婚し子どもをもうけていく、というあのパターンによく似ています。
トランスの人は、トランジションのあとも、自分たちで付き合う相手を選んでいくことがよくあります。私たちはシスの人にはできないほど、互いをよく理解し合えるからです。トランスの人たちが一か所に集まると、独特のエネルギーが生まれます。その場が、仲間意識と共感の空気で満ちていくのです。私たちは、自分たちの来し方にあまりにも多くの共通点を持ち、あまりにも多くの経験を分かち合っているので、(性格の相性の問題でもない限り)一瞬で心を通わせ、結びついてしまうのです。# 社会的違和
**社会的違和(societal dysphoria)**とは、社会の制度や通念から生じる違和を指し、他者との直接のやり取りから生じる『対人的違和(social dysphoria)』とは区別されます。
ジェンダー役割というものは存在します。それに抗おうとしたり、社会にある性差別を指摘しようとしたりしても、人はその性別ゆえに何らかの期待を背負わされ続けます。その期待がもっとも強く働くのが、夫婦や親としての役割です。「夫」「妻」「母」「父」——こうした言葉には山ほどのしがらみがまとわりついていて、自分に合わない役割を、あるいはそもそも役割というもの自体を引き受けることが、鉛で裏打ちされた拘束衣のように感じられることがあります。あなたは、こうふるまうべき・こう行動すべき・これを好み・これを嫌うべきという内容がぎっしり詰まった一冊の本を手渡され、ただそれを全うすることを期待されているようなもので、その要求を満たせなければ、ダメな配偶者・ダメな親だとみなされてしまうのです。ノンバイナリーの人の場合は、とうてい同時には満たせない、たがいに矛盾する期待を突きつけられることもあれば、そもそもジェンダー化された役割を引き受けること自体を、周りからとがめられることさえあります。
出産を経験する出生時に女性と割り当てられた者(AFAB)の親は、「母親」と呼ばれることに強い違和を覚えることがあります。出産にまつわる情報や支援のほとんどはきわめて女性ジェンダーに偏っているため、妊娠し、身ごもり、出産するというプロセスそのものが、ジェンダーの期待であふれかえっています。妊娠していれば、自分が自身の役割について実際にどう感じているかに関係なく「ママ」と呼ばれ、それにともなって——身の回りの世話、授乳、子育てについての——さまざまな思い込みがついて回るのです。
シスジェンダーとしてパッシングするトランスフェミニンな人も、同じことに直面します。乳児を抱いていたり、子どもの世話をしていたりすれば「ママ」とみなされるのです(もっとも、その子がミックスルーツである場合は「ナニー(子守)」へと格下げされるのですが、それはまったく別の話です)。これは、自分が女性として見られている証なので、自分のあり方を肯定してくれることもあります。しかし、シスジェンダー女性が、生殖のプロセスにまつわる「共有された経験」だと思っていることについて語りはじめると、ひどく否定された気持ちにもなりかねません。
社会的違和は、自分の本当の性別にふさわしい社会的な基準に合わせなければ、と感じる場面で、思いがけない形で現れることもあります。たとえば、多くのトランスジェンダー女性が、トランジション以前から、内なる慎みの感覚ゆえに胸を隠さなければと感じていた、というエピソードを語っています。上半身裸で泳ぐことへの抵抗感は、よく見られる特徴で、自分の本当のあり方をまだ理解していないときでさえ生じます。どこかで、何かが、ただ分かっているのです。
恥
こうした役割を果たせないことは、恥や屈辱として強烈に現れることがあります。クローゼットの中で育ち、ありがちなジェンダーの枠に収まろうともがいていると、別のあり方を期待していた親や仲間から落胆の色を示されることがよくあります。父親は、出生時に男性と割り当てられた者(AMAB)のわが子がスポーツやその他の「男らしい」活動に乗り気でないことに失望するかもしれません。女性の仲間たちは、AFABの十代の子が男性の社交グループとつるむのを選んだことに、難色を示すかもしれません。十代の少年たちは、自分たちのノリに加わらないAMABのトランスジェンダーの人を、仲間外れにするかもしれません。
こうした状況は、いじめや虐待につながり、トランスジェンダーの人を孤立させ、ひとりぼっちで、自分の居場所がないと感じさせていきます。そしてこの疎外感が、みんなが期待するような人間になれなかったことへの恥の感情を生み出すのです。それはさらに、他の違和に重なる抑うつとして現れ、苦しみをいっそう深めていきます。
Dr. Emmy Zje @Emmy_Zje Guilt is a byproduct of shame, shame is a byproduct of transphobia, and transphobia is a byproduct of lies based in fear.
Once you realize this, you can begin to see “trans” for what it is...a beautiful manifestation of nature. A gift to be cherished, not a curse to be hidden.
この恥がとりわけ激しくなるのは、自分がトランスジェンダーだと打ち明けるその瞬間です。クローゼットから出てカミングアウトするトランスジェンダーの人に対して、トランスフォビックな友人や家族が否定的な——ときには暴力的ですらある——反応を返すと、その恥は強烈な罪悪感と不名誉へと変わってしまいます。結婚している大人のトランスジェンダーの人は、自分の本当の姿を明かすことで配偶者の人生をひっくり返してしまうことに、計り知れないほどの自責の念を抱くかもしれません。近所の人や仲間からの非難を予期し、それが配偶者や子どもにどう影響するかを恐れることもあるでしょう。
これもまた、性別違和の一つの形です。もしその人がシスジェンダーであったなら、こうした影響を受けることはなかったはずなのですから。
恥が作用するもう一つの道筋は、私たちの社会に存在する構造的なトランスフォビアです。今日の大人のトランスジェンダーの人々は、子ども時代にトランスフォビックなメディアを見ながら育ちました。80年代後半から90年代初頭にかけてのトランスセクシュアルへの執着は、当時のトランスジェンダーの子どもたちにとって、ぞっとするほどトラウマ的なものでした。自分が同一視するだけでなく、強く共感し、憧れさえ抱いていた人たちを、周りの大人や仲間がこぞって嘲笑い、やじり、嫌悪する——その光景を見せられたのですから。この恥は、私たちの生涯を通じて居座り続けます。これは、これほど多くのトランスジェンダーの人々が30代後半やそれ以降になるまでカミングアウトしない、その根本的な理由の一つです。人生の半ばに差しかかって、ようやくその恥を乗り越えられるようになるからなのです。
恥はまた、たまりにたまって、ついには過激な行動へとあふれ出す傾向があります。トランスジェンダーの人々の来歴にきわめてよく見られるのが、自分の性別表現を少しずつ築き上げ、自分の感情と闘うことがだんだん減っていくのに、ある日突然、恥に押しつぶされそうになって何もかもを一掃し、二度とこの気持ちを追い求めまいと誓う——そんな循環です。このパターンは、何度も何度も繰り返されます。
デートと恋愛関係
Callidora @Adoratrix I get the thinking. Trans girls grow up falsely believing they're guys, and so are assumed/expected/raised to experienced and express normative heterosexual attraction to women. If you're a trans lesbian, you transition, but you're still into women. So it's the same, right? No
Callidora @Adoratrix So let's talk details. To begin with, it's worth pointing out that most trans lesbians don't exactly experience normative heterosexual attraction to women in the same way that cishet men do. Dysphoria and confused gender feelings mess with that a whole lot
Callidora @Adoratrix Before I transitioned, just the thought of doing any sexual or romantic with a girl made me nauseous, because doing that would feel like I was adopting a masculine role - the role of the boyfriend, the male lover - and that kicked my latent dysphoria into overdrive
Callidora @Adoratrix When I first transitioned, my family and friends assumed I was going to be solely or primarily interested in men. Every mainstream cultural message I'd ever absorbed about women (including trans women) told me I needed to be into men
Callidora @Adoratrix Many trans healthcare systems operate on a really really crude system where a cis doctor asks you a bunch of stuff like 'what toys did you play with as a child?' to see if you match up well enough with what a woman is "supposed to be". And women are "supposed to be" into men
Callidora @Adoratrix So, there's a lot of internal and external pressure faced by trans lesbians to disavow their own lesbianism and experience attraction to men. This is nothing like what any straight man experiences, but it is a whole lot like what cis lesbians experience!
Callidora @Adoratrix One last thing is, the way it feels to be a trans lesbian experiencing attraction, sex and romance to other women. It doesn't feel like cishet attraction. It's not burdened by any of those weird, crude expectations. I don't recognize any of that in my life
Callidora @Adoratrix When I read cishet experiences of their sexuality, I feel nothing but alienation. When I read lesbian experiences, they resonate with me deeply and I recongize those things in how I experience my sexuality with the people I love and am attracted to
社会的違和は、交際の作法においてとりわけ強く顔を出します。自分が男の子でも女の子でもないのに「彼氏」や「彼女」の役を強いられるのは、ひどく戸惑うもので、しばしばとても不公平に感じられます。AMABの人たちは、甘やかされるのは自分のほうだったらいいのに、と思うかもしれません。望まない注目はどんな性別の人にとっても居心地の悪いものですが、AFABの人たちは、相手になり得る人から向けられる純粋な好意の量にさえ、居心地の悪さを覚えるようになることがあります。こうした交際の役割を果たすようパートナーから課される期待は、背負うには重たい荷物のように感じられるかもしれません。これとは対照的に、自分の本当の性別としてデートをすることは、性別高揚感に満ちたものになります。トランスジェンダーの女の子に花を買ってあげれば、彼女がどれほどうっとりするか分かるでしょう。
クローゼットの中にいるトランスジェンダーの人は、異性愛に合わせなければというプレッシャーをあまりにも強く感じるあまり、恋愛に関する自分の本能を押し殺し、演技めいた役割を引き受けてしまうことがあります。多くのトランスジェンダー女性が、妻に対して異性愛者の夫の役を演じようとしてみた末に、トランジションを経て、自分はむしろ妻の役のほうがずっといいのだと気づいてきました。そもそも女性に惹かれてさえいないこともあるのです。
居心地の悪さにとどまらず、多くのトランスジェンダーの人々は、自分が経験してきた関係性の力学が、自分たちの見え方という形にまったく合っていなかったのだと気づきます。多くのトランスジェンダーの人々が、トランジション後になって、自分は指定性別のシスジェンダーのようにデートをしたことなど一度もなく、いつだって自分の本当の指向にかなった恋愛関係を築いていたのだと気づくのです。男性同士、女性同士の関係は、異性愛の関係とはまったく異なるパターンを持っています。求愛の作法も、互いの受け止め方も、コミュニケーションのスタイルも違うのです。男性は、女性に対するのとは違うやり方で男性と関わり、女性は、男性に対するのとは違うやり方で女性と関わります——たとえ自分が男性なのか女性なのかをまだ知らないときでさえ、そうなのです。
たとえば私自身、妻にカミングアウトしてから、過去の自分のデートの試みがことごとく、本質的にサフィック(女性同士の惹かれ合い)なものだったと気づきました。私がいつもまず求めていたのは、相手とよい友だちになることでした。デートが「デート」と名づけられることは決してなく、ただどこかに腰を下ろして語り合い、一緒に過ごすだけだったのです。その結果、私の恋愛のいくつかは、友情を壊してしまうのが怖くて最初の一歩を踏み出せなかったというだけの理由で、終わってしまいました。私は起きている時間の半分を、相手のことを考え、そばにいたいと願って過ごしていました——性的な欲望からではなく、その人そのものへの夢中さからです。最初の彼女は、初デートのときにはっきりと、私はこれまでデートしてきたどんな男性とも違う、なぜなら手っ取り早く体の関係に持ち込もうとするのではなく、話すことを楽しんでいたから、と言いました。彼女は二か月後、私が、彼女がパートナーに求めるほど積極的ではなかったという理由で、私と別れました。
こうしたあり方は、ノンバイナリーの人々にとってはさらに複雑になります。その中には、自分のデートのスタイルをせいぜい「クィアだ」としか言い表せない人もいます。自分が関係の中でどんな役割を担っているのかを見極めるのに苦労する人もいます。一般には二元的にジェンダー化された役割とみなされる、特定の役割を引き受ける人もいますが、その役割は必ずしも見た目から想定されるものとは限りません。男の子/女の子ではなくても、彼氏/彼女として見られたいと願うノンバイナリーの人もいます。社会から中立的とみなされる役割や、二元的な両方の役割の要素を併せ持つ役割を担いたいと望む人もいます。ノンバイナリーの人の中には、自分が「男性」の役を演じるにせよ「女性」の役を演じるにせよ、とりわけ異性愛的なデートの力学にこそ居心地の悪さを覚える人もいるのです。
多くの人は、自分の性的指向を、男性や女性とのジェンダー上の関係を基準にして定義しますが、その枠組みはノンバイナリーの人にはうまく当てはまりません。そのため、ノンバイナリーの人の中には、「異性愛」や「同性愛」という従来の言葉そのものが違和を引き起こすと感じる人もいるのです。# 性的違和
社会的違和と密接に関わっているのが、セクシュアリティや性的な関係、そして性行為そのものをめぐって生じる違和です。異性愛規範的(ヘテロノーマティブ)なジェンダー役割には、AMABの人はトップ(タチ)を、AFABの人はボトム(ネコ)を担うものだという期待がべったりとまとわりついています。こうした力学は、大衆メディアによって、有害な男性性(トキシック・マスキュリニティ)によって、そしてとりわけポルノグラフィによって強化されています。それはトランスジェンダーポルノにおいてさえそうです。(トランス/シスのポルノの大半は、トランス女性がトップを担う、といった構図になっています。)こうした役割から外れると、しばしばパートナーや周囲の人々から恥をかかされる結果につながります。
もちろん、これは決して絶対的なものではありません。多くの異性愛のシスカップルも、こうした型から抜け出す道を見つけ、関係の中に新しい力学を見いだしたり、欲求を満たすためにキンク(性的嗜好)を取り入れたりしています。中には、自分たちは性的にまったく相性が合わないと気づき、別のパートナーを探すカップルもいます。とはいえ、こうした自己への気づきや探求を押しとどめる外からの圧力は、本当に数えきれないほど存在します。そして、そうした要求から自分を切り離していくことは、ときに極度に難しく、ときにトラウマにすらなりうるのです。保守的な価値観や、宗教的な道徳主義を背景に持つ場合には、これはなおさら当てはまります。
シスジェンダーのゲイの関係は、必要に迫られるかたちでこの問題をすり抜けており、どの役割が自分をより満たしてくれるのかを各自が探っていける扉を開いています。あらかじめ確立された支配/服従の力学を持っていて、それを互いに了解した上で関係に入るゲイカップルもいます。また、どちらが支配的な側になるかを入れ替えることで折り合いをつける人たちもいます。とはいえ、ゲイの関係もなお、ブッチ/フェムや、ベア、トゥインクといった力学をめぐる、この種の期待に絡め取られてしまうことがあります。
これは結局、何を意味しているのでしょうか。トランジション前に、周囲から異性愛として認識される関係に入ったトランスの人は、ときに性交への興味を失っていく自分に気づくことがあります。挿入を伴う行為が、自分が期待するような充足感をもたらしてくれないからです。極端な場合には、それが完全に間違ったことのように感じられ、パニックを引き起こすこともあります。感覚そのものは快く感じられたとしても、その体験はどこか場違いで、行為そのものが強いられたもののように感じられるのです。
Kathryn Gibes
@TransSalamander Did any other trans girls get to the point pre-transition where they had to basically dissociate in order to top or was that just me lol
このことは、性に対してあまり前向きになれない、あるいは興味すら持てなくなる、という状態につながりかねません。性欲を形づくるもののうち半分は、その場面が自分にとってどういう意味を持つかという心理的な文脈だからです。多くのトランスの人は、成人するまで性行為をまったく経験しないことすらあります。違和があまりにも深刻に性欲のすべてを遮断してしまうために、事実上、性を避けて生きているような状態になるのです。パートナーのために行為に応じることはあっても、本来得られたはずの楽しみは得られず、その務めをこなすために、周囲の現実から自分を切り離してしまうことさえあります。
この違和はあまりに大きなものになりうるため、本当は自分とつながりを感じていない性的アイデンティティを引き受けてしまう、ということも起こりえます。トランスの人がカミングアウトの後になって、以前自分が名乗っていた性的指向に実はまったくつながりを感じていなかったのだと気づく——それを、性生活における違和を少しでも和らげる手段として使っていただけだったのだと気づく——というのは、決して珍しい話ではありません。
たとえば一部のトランス女性は、トランジション前、性行為のときに自分を女性として扱ってくれるパートナーが欲しいという思いから、ゲイの男性として自認していたものの、その求めが取り払われてみると、実は自分はレズビアンだったと気づくことがあります。また、ゲイの男性として生きようとしてみたものの、パートナーが自分を男性として見ていると分かっているために、その役割では満たされないと気づく人もいます。
押しつけられた男性のまなざし
著者からのひとこと:このタイプの性的違和は、一般的な言葉で説明するのがとても難しいものです。そこでここでは少し趣向を変えて、私自身の個人的な経験をもとに書いていこうと思います。以下の文章は、バイナリー(二元的)なトランス女性である私の視点から書かれています。そのため、すべてのトランスの人にそのまま当てはまるとは限りません。どうかご容赦ください。
サフィック(女性に惹かれる女性)のコミュニティでとてもよく知られている言葉があります。「私は彼女になりたいのだろうか、それとも彼女と一緒にいたいのだろうか?」というものです。
性的な惹かれと、羨望(うらやましさ)との区別をつけるのは難しいものです。とりわけ、自分がクローゼットの中にいるトランスのティーンであれば、なおさらです。私たちの社会はそっくり異性愛の上に築かれています。それはもう、思春期前の子どもでさえ、男性から女性への惹かれについてのメッセージを浴びせかけられるほどに、文化的なデフォルトになっているのです。その結果、「反対の」性の生活のさまざまな側面に関心を寄せることは、ほとんど常にすぐさま、性的な惹かれだと受け取られてしまいます。
これがもたらすのは、何でしょうか。たいていは……恥です。トランスの子どもはしばしば、本当のジェンダーに基づいて同年代の仲間を見る視点を内面化しています。そして人は、自分と対等な相手をモノのように扱ったりはしません。だからこそその子は、そうした関心を隠そうとする方へと駆り立てられます。性的にモノ扱いするような振る舞いをしていると見られたくないからです。これは、保守的で宗教的な育ち方のように、とても厳格な道徳の規範のある環境で育った場合には、いっそう深刻になります。
私は福音派キリスト教の家庭で、クローゼットの中のトランスのティーンとして育ちました。だから、もし女性を性的とみなされるような目で見ているところを見つかったら罰せられるだろうと分かっていました。もし女性用の衣類を手に取っているところを見つかったら、自分には答える準備のない、とても気まずい質問が山ほど浴びせられるだろうと分かっていました。これは私にとって本当に深刻な問題でした。私は女性用の衣類、とりわけランジェリーに強く惹かれていたからです。
モー・シズラックが嘘発見器にかけられるシンプソンズの場面があります。検査が終わる頃には、彼はシアーズ(百貨店チェーン)のカタログの下着コーナーに載っている女性たちをじろじろ眺めて夜を過ごすつもりだ、と白状してしまいます。この場面の肝であり、笑いの源になっているのは、このみじめなモノ扱いの行為におよんだことでモーに浴びせられる恥そのものです。私は、女性用の衣類への自分の関心が、まさにこんなふうに見られるのだと知りながら育ちました。
恥と恐れから、私はこの情熱を隠すためにできることは何でもしました。手に入る素材なら何にでも自慰をする、あの十代の少年たちのように見られることに、どうしても耐えられなかったからです。この恐れをさらにひどくしていたのは、私自身もまた、自分のこの関心は性的なものなのだと信じていたことでした。
アヒルのかたちをしたレンズを通して世界を見ると、何もかもがなんとなくアヒルのように見えてきます。女性への自分の関心を理解するために与えられていた枠組みは、性的な欲求というものだけでした。だからこそ、私の抱く女性的な関心は、ひとつ残らず性的な欲求へとゆがめられていったのです。花嫁になりたいという願いは花嫁キンクへと姿を変え、子どもを持ちたいという思いは妊娠ポルノへの関心へとゆがみ、自分が女の子でありたいという切実な思いは、変身フェティッシュへと向け替えられてしまいました。
けれども、それに加えて、私は、ほかの女性に対して正当な性的関心を表に出しているところを見られることをひどく恐れていました。私には、悪名高いほどあからさまに振り返って見つめたり、口を開けてぽかんと見入ったりする男友達がいました。以前の雇い主のひとりには、ランチに出かけると魅力的な女性をじろじろ見るというひどい癖があって、彼と一緒にいるところを見られるのがとても居心地悪く感じられました。
私は、あの男性のまなざしと結びつけられることが、どうしても我慢なりませんでした。どんなに美しい女性のそばにいても、私はその人を見ることさえ避けていました。女性をじろじろ見るような人間だと見られたくなかったからです。捕食者(プレデター)のように見られたくなかったのです。
これこそが、押しつけられた男性のまなざしです。異性愛規範的なイデオロギーゆえに、クローゼットの中のトランス女性に押しつけられる強制的異性愛(コンパルソリー・ヘテロセクシュアリティ)——自分と対等な仲間への称賛や、ジェンダーに結びついた関心をめぐって、強烈な罪悪感と恥をもたらす認知的不協和なのです。
この男性的な枠組みをいったん取り払えば——いったん自分を女性として捉えられるようになり、こうした関心やまなざしが正当なものだと受け入れられるようになれば——その恥や罪悪感は、跡形もなく消え去ります。たとえその関心が本質的にサフィックなもので、本物の性的欲求を含んでいたとしても、それはもう、モノ扱いというフィルターで汚されることはありません。私は今、自分と対等な女性たちの女性らしさや美しさを、何の引け目もなく称賛することができますし、気持ち悪い人だと思われたり、意図を曲げて受け取られたりするのを恐れることなく、その人たちを褒めることができます。
それは、ついに解き放たれてしまうまで、とても言葉にできなかった違和でした。クィアな女性たちの場に少しずつ溶け込んでいくにつれて、私はいっそう安堵しました。女性も男性とまったく同じくらい飢えているのだと気づいたからです。私たち女性は、ただ(たいていは)それをずっと敬意をもって扱っているだけなのです。それは、自分が抱えていたことにすら気づいていなかった罪悪感からの解放でした。# 表現的違和
服。髪。メイク。アクセサリー。眼鏡。ピアスをはじめとする身体改造。さらには体毛の処理やスキンケアの仕方といった身だしなみまで、自分の見せ方を形づくる要素になり得ます。こうしたものはどれも社会のなかで性別化されており、とりわけ服装と髪型はそれが顕著です。
1960年代の性革命や80年代のビジネスファッションブームは、男性的な見せ方と女性的な見せ方の隔たりを曖昧にするうえで(おもに男性的なファッションをアンドロジナス(中性的)なものとして定着させることによって)大きな役割を果たしました。それでもなお、伝統的なジェンダー規範に従うようにという途方もない圧力は今も残っています。ジェンダー規範に沿わない装いは、たちまちクィアだと見なされてしまうため、女性が仕立てのよいスーツを着ればレズビアンのレッテルを貼られ、息子が『アナと雪の女王』のパーティーをしたがったからエルサの衣装を着た父親は、社会秩序を乱す存在だとか、子どもを虐待しているなどと非難されたりします。
男性の長い髪は、何十年ものあいだロッカーの反逆の証と見なされてきましたし、髪の長い男性は怠け者や浮浪者だと差別されます。女性の短い髪はしばしばクィアやブッチだと受け取られ(高齢の女性であれば当たり前とされますが)、女性は髪を長く保つよう圧力をかけられがちです。男性のピアスは90年代にいくらか定着しましたが、それでも反抗の表れと見なされることがあり、雇用主のなかには男性がピアスをつけることを認めないところもあります。男性のメイクは有害な男らしさ(トキシック・マスキュリニティ)によって強いスティグマ(烙印)を押されているため、メイクが好きな男性でさえ、それを避けなければというプレッシャーを感じてしまいます。
好むと好まざるとにかかわらず、見せ方は性別化されています。そしてトランスの人が自分の本当の性別にふさわしいファッションで自分を見せたいと望むのは、ごく当たり前のことです。また、性別化された見せ方という束縛から自由になりたいという願いは、ジェンダースペクトラムのどこに位置するかにかかわらず、すべてのトランスの人に共通して見られます。出生時に男性と割り当てられた人(AMAB)の場合は、より女性的な要素を取り入れたいという願いとして現れるかもしれません。出生時に女性と割り当てられた人(AFAB)の場合は、より男性的な見た目を求める気持ちとして現れるかもしれません。それは、指定性別とは正反対の方向へと振り切ろうとする形をとることもあれば、アンドロジニー(中性性)を求めて中間地点を探そうとする願いとして現れることもあります。あるいは、ただ単に指定性別としては見せたくないという願いであることさえあるのです。
すべてのトランスフェムが女性的に見せるわけではないし、すべてのトランスマスクが男性的に見せるわけでもないし、すべてのノンバイナリーの人がアンドロジニーを求めるわけでもありません。ブッチなAMABのトランスの人も、フェムなAFABのトランスの人も、正当な存在です。見せ方はジェンダーではないし、ジェンダーは見せ方ではないのです。
表現的違和は、たいてい初期の段階で、別のジェンダーのスタイリングに強く惹かれ、そのジェンダーの人たちのように自分を見せられたらという願いとして現れます。その願いは、ユニセックスなスタイリングを探すことである程度は満たされることもありますが、たいていは「自分にはそれを試すだけの自信がない」といった言葉で、自分自身でその扉を閉ざしてしまいがちです。AMABの人はここで問題にぶつかることが多く、この願いが異性愛規範の陰に閉じ込められてしまい、女性的な見せ方への関心が性的な欲望だと誤解されてしまうのです。
トランジション後の表現的違和は、たいていの場合、指定性別として見せようとするときに感じる強い居心地の悪さという形をとります。それは自分がどう見えるかという話ですらなく、ただその服を着てどう感じるか、という話であることもあります。私自身、トランジションを始めてから最初の1年半は、ユニセックスのTシャツを着ることに耐えられませんでした。ただただ、自分がより男性的に感じられてしまったからです。今でも、首まわりが詰まっていると違和を覚えてしまうので、Tシャツは襟ぐりを切り取らなければなりません。
見せ方が身体的違和に及ぼす影響
Nightling Bug
@NightlingBug When you get ready to go, you just roll out of bed and throw on whatever. You don't really do any self-grooming, or care about what's on your body. You're a little proud of your lack of vanity, your deeper, non-appearance-level existence.
Nightling Bug
@NightlingBug Your clothes are chosen almost entirely for comfort. And for you, comfortable means loose and baggy. You can't stand wearing clothes (that others claim are flattering!) that are close-fitting in the wrong places, that draw your own attention to certain parts of your body.
Nightling Bug
@NightlingBug Clothes shopping for yourself is a hassle at best and a source of stress and anxiety at worst. When you do find clothes that fit and look okay, they don't make you *happy*. You don't feel more confident in them. You're just relieved you can go home.
Nightling Bug
@NightlingBug Occasions where you *must* dress up, like weddings and funerals and job interviews, are the worst. Even after all of the grooming and wardrobing, you feel self-conscious and awkward in formalwear. It makes you feel *fake,* like a lump of sludge pretending to be a fancy person.
服は、その人が経験する身体的違和の強さにも大きな役割を果たすことがあります。男性服はいつも、とてもボックス型に裁断されていて、縦にはまっすぐで、横にはとても角ばっています。女性服はより曲線に合わせて裁断され、ウエストラインやヒップの形を強調します。男性のズボンは外性器のための余地をつくるために股ぐりが低めにつくられていて、曲線に合わせたフィット感はありません。女性のボトムスはその逆です。女性服はしばしば体にフィットする形ですが、男性服が体にフィットする形につくられることはまずありません。男性服はしばしば、より丈夫で厚い素材でつくられていて、一枚で着ることを前提としています。女性服はしばしば、より薄く伸縮性のある素材でつくられていて、重ね着することを前提としています。
こうした構造は男性的あるいは女性的な体つきに合わせてつくられているため、「間違っている」という感覚を増幅させてしまいがちです。よくある例として、メンズとレディースのジーンズの違いが、トランスの人の心地よさに劇的な影響を及ぼすことがあります。残念ながら、これは逆方向に働くこともあります。自分を肯定してくれるはずの服でさえ、自分の体型がいかに食い違っているかを浮き彫りにしてしまうことがあるのです。
私自身、好んでする見せ方はとても女性的で、5歳のころからずっとドレスを着たいという憧れを抱いてきました。スーツを着るのが大嫌いで、自分の体にフィットする感覚が嫌でたまりませんでした。スーツはいつも、自分の体が必要としているものとはひどく間違っていると感じる方向に引っ張られたからです。人生のほとんどの期間、私はデニムをいっさい身につけることを拒んでいました。メンズのジーンズはいつもひどく間違っている感じがしたからです(その一方で、レディースのジーンズやレギンスは最高の着心地でした)。そしてトランジションに入り、より女性として自分を見せるようになると、今度は私の体が女性服の想定している形に合っていないという形で、ふたたび違和が襲ってきました(股間にふくらみがありすぎ、肩が広くてごつすぎ、ウエストが大きすぎ、胸は足りなさすぎ、というように)。私の体型が、女性服にきちんと肯定してもらえるほど十分に変化したと感じられるようになったのは、ようやく2年目に入ってからのことでした。
これは具体的にどのような形で現れるのでしょうか。実のところ、ほかのよくあるボディイメージの悩みととてもよく似ています。体にフィットするものをすべて避け、柔らかい生地やゆったりした服を好む傾向があるのです。性別違和の典型的なパターンといえば、スウェットパンツとパーカーしか着ない子どもの姿でしょう。服が体に張りつかないように、わざと大きめのサイズを選ぶのです。AFABの人は、胸を目立たなくするために締めつけるタイプのスポーツブラを好み、ウエストがきつい服を避けることもあります。
Cherry Blossom @DameKraft Feeling envious of other girls for being pretty is a thing that many many women feel. Dysphoria is a real headfuck of a layer on top of that feeling, yet I just wanna say that if you’re a trans woman feeling envious of another trans woman, that’s you being a actual woman.
内面では、これはたいてい、自分がなれたらと願う人たちへの強烈な嫉妬として現れます。あるインフルエンサーの体型へのうらやましさ、街で見かけた人の装いをまとってみたいという強い願い、そしてとりわけ、ほかのトランスの人たちへの羨望です。この感情はトランジションがかなり進んでからも続くことがよくあります。というのも、自分と同じジェンダーのほかの人たちになりたいというこの感覚は、実はシスの人にとってさえ、まったく自然なものだからです。
見せ方が対人的違和に及ぼす影響
見せ方は、ミスジェンダリングを避けるうえで大切なものになり得ます。とくにトランジションの初期はそうです。多くのトランスの人は、ありのままの自分を受け入れてもらうために、自分のジェンダーを「演じ」なければと感じています。自分の体を補い、周りの人に正しいジェンダーで扱ってもらうために、本当は望んでいる以上に女性的あるいは男性的な見せ方へと寄せていくのです。医療的なトランジションを進めている人は、体が変化していき、そうした演技をしなくても正しいジェンダーで扱ってもらえるようになるにつれて、この必要性がそれほど重要ではなくなっていくと感じることもあります。
演技的な見せ方は、2011年のWPATHの改革以前は、事実上必須でした。極端に女性的あるいは男性的な見せ方をせずに医師の診察に現れた人は、誰であれ「偽物」のレッテルを貼られ、ハリー・ベンジャミン尺度のもとで治療を打ち切られる危険にさらされたのです。トランス女性は、ドレスではなくジーンズとブラウスを着ていたというだけで、あるいはメイクが足りないというだけで、実際にエストロゲンの処方を取り消されることがありました。これこそ、トランスメディカリズムのイデオロギーがこれほどまでに危険である理由のひとつです。それは私たちをこの仕組みへと逆戻りさせ、女らしさ・男らしさのステレオタイプな見方を満たさない人を、誰であれ「本当はトランスジェンダーではない」とレッテルを貼ってしまうものだからです。
見せ方は、思春期前の子どものあいだではとくに重要です。子どもにはこれといった第二次性徴がまだ備わっていないからです。子どものジェンダーを示せる手立ては、服装と髪型くらいしかありません。たとえば赤ちゃんがピンクのシャツを着ているというだけで、見知らぬ人はその子を女の子だと思い込むほどです。子ども向けのユニセックスな服でさえ、色やデザインによって強く性別化されています。トランスの子どもにとって、髪を切るよう強いられたり、反対に伸ばすよう求められたりすることは、ひどく苦痛になり得ます。トランスの女の子やトランスフェミニンなノンバイナリーの子どもにドレスを着せまいとすること、あるいはトランスの男の子やトランスマスキュリンなノンバイナリーの子どもにドレスを無理やり着せることは、その子の心を打ちのめしかねません。# 実存的違和
割り当てられた性別が自分のものと違うまま育つと、本来なら手にできていたはずの多くのものを取りこぼしてしまいます。もし周りの人がただ気づいてさえいてくれたら、得られていたはずのもの。お泊まり会、キャンプ旅行、ガールスカウトやボーイスカウト、買い物に出かけること、チアリーディングやスポーツ。男女が一緒に参加する行事でも、自分がそこにどう関わるかによって、まったく違う感情がついて回ることがあります。たとえばプロムに行くこと、宗教的な儀式(たとえばユダヤ教の成人式で、男子の「バル・ミツワー」ではなく女子の「バット・ミツワー」を行うこと)、あるいはただ誰かと交際すること。こうした違和には、生物学的な由来をもつものもあります。自分の子どもを産んだり、母乳で育てたりできなかったことへの悲しみなどです。
こうして取りこぼした機会は、喪失感や痛みとなって現れることがあります。さらに、本来なら自分には縁のなかったはずなのに手にできてしまったものの記憶や、間違った性別のままこなさなければならなかった出来事の記憶もまた、苦々しい思い出になり得ます。そこには、どこかちぐはぐな感覚がまとわりついているからです。本当は花嫁であるべきだと分かっているのに、自分の結婚式で花婿を演じなければならない場面を想像してみてください。理想の結婚式を夢見ながら育ってきたのに、そこで間違った役を演じることになるのです。
実存的違和は、文字どおり実存にかかわる形で現れ、失われた青春のすべての悲しみとともに襲いかかってくることもあります。あらゆるデート、ティーンエイジャーらしいやんちゃ、パーティー、さらには、身体がまだ若くて何の責任も負っていなかった頃に、正しい身体の部位で性を楽しめたかもしれないということ。それは二度と取り戻せない時間です。
多くのトランスの人は、こうして失った出来事のいくつかを取り戻そうと試みます。クィアなプロムを開いたり参加したり、お泊まり会を企画したり、配偶者と誓いを新たにする式を挙げたり、母親のような存在に付き添ってもらって初めてのブラジャーを買いに行く、父親のような存在に髭の剃り方を教わるといった、思春期によくある通過儀礼を経験したり。けれども結局のところ、実存的違和は決して癒やしきることのできないものです。失った経験の代わりに新しい経験を作ることはできても、時計の針を巻き戻すことは決してできません。
これは、トランスの子どもや若者を肯定することがとても大切である、数ある理由のひとつです。男の子は男の子がよくすることをしたいし、女の子は女の子がよくすることをしたいし、ノンバイナリーの子どもは自分にとって正しいと感じることなら何でもしたいのです。そして、それを取りこぼしてしまえば、子どもたちはそのことを決して忘れません。
管理された違和
クローゼットの中で育つこと——たとえ自分がクローゼットの中にいると気づいていなくても——は、違和をやわらげるための対処メカニズムの上に成り立つ生き方になっていきます。次に挙げるのは、クローゼットの中にいるトランスの人が、日々の暮らしで感じる違和をやわらげるために見出すことのある方法です。
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ビデオゲームで性別を選べるとき、指定性別とは違うほうを選ぶ傾向があること。これには、その選択を正当化する言い訳が伴うこともあります。「デフォルトが男だっただけで、別にこだわってない」「何時間も男のお尻を眺めていたくないし」など。
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自分の本当の性別のキャラクターが登場する文学や映画、あるいはジェンダー規範を打ち破るキャラクターが登場する作品を好むこと(『ムーラン』『若草物語』)。
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強い欲求を満たしてくれたり、より自分に重なると感じられたりするポルノをはけ口にすること。たとえばゲイ/レズビアン向けのポルノ、花嫁キンク、変身もの(トランスフォーメーション)などへの傾倒。
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クロスドレッシングをしたり、ドラァグを演じたりすること。
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髪を短く切る、あるいは伸ばすための口実を見つけること。
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体毛を剃ること、あるいは剃ることを期待されている毛を剃るのを拒むこと。
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体の輪郭を隠してくれる、ゆったりとしただぶだぶの服を着ること。
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できるかぎり人が集まる場を避け、孤立を求めること。
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紳士服や婦人服のデザインなど、ジェンダーに関連したある分野について、とことん詳しくなること。
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取り憑かれたように体を鍛えること(AFABの場合)。
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シスのパートナーの買い物に付き合い、その人の装いを通して疑似体験すること。
Nightling Bug
@NightlingBug You're worried that you might be homophobic, even though you believe in gay rights, because "LGBT+ stuff" fills you with a deep discomfort. It all seems so flamboyant and overtly sexual. It makes you want to shrink down and disappear, before you die of secondhand embarrassment.
Nightling Bug
@NightlingBug Later, when you meet real queer people, or your friends come out of the closet, you start to idolize them. But you're also jealous. They're *free* and *real* in a way that seems impossible for straight people, like you. They have huge, *real person* worries and desires and lives.
ジェンダー規範に従わない子どもには、あまりにも多くの虐待が浴びせられます。そのため、多くのトランスの人は、ただ生き延びる必要に迫られて、ありのままの自分の性格を隠すことを覚えながら育ちます。多くのトランスの人が、指定性別を「受け入れよう」と試みた時期について語っています。自分を「直そう」として、男性性や女性性を極端なまでに演じるのです。これは、表面的には有害(toxic)にすら見えかねない抑圧の傾向につながることがありますが、それは本当の自分のかけらをひとつ残らず隠そうとした結果にすぎません。
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ひげを伸ばし、入念に手入れすること(いわゆる「否認のひげ(denial beard)」)。
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完璧なハイ・フェムの装いを仕上げるために、メイクアップの技術を身につけること。
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極端に男性的、あるいは過剰なまでに女性的な装いをすること。
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どの性別のものであれ、ファッションの話題を一切避けること。ファッションの会話や活動が起きるたびに解離すること。
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取り憑かれたように体を鍛えること(AMABの場合)。
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関係のなかで、強くステレオタイプ化されたジェンダー役割を引き受けること(たとえば、貞淑でつつましい専業主婦)。
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自分の「おかしいところ」が「直る」だろうと期待して、結婚し子どもをもうけること。
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ジェンダーやセクシュアリティに対する超保守的な態度を受け入れること。
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疑いの目をそらすため、自己防衛として同性愛嫌悪やトランス嫌悪を表に出すこと。
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自分の本当の性別に関わるものすべてに対して、攻撃的なまでに消極的な関わり方をすること。
最後に、もうひとつとてもよくある対処メカニズムは、自分自身の気持ちを忘れるために、逃避や没頭の手段を見つけることです。
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趣味に膨大な時間を注ぎ込むこと。
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長時間を仕事に費やすこと。
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映画やテレビ番組、本を立て続けに一気見・一気読みすること。
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空き時間をすべてビデオゲームやSNSに費やすこと。
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取り憑かれたように自分の住空間を掃除すること。
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眠ること。とにかく、ひたすら眠ること。
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薬物やアルコールを使用すること。# インポスター症候群
インポスター症候群(impostor phenomenon、impostorism、fraud syndrome、the impostor experience などとも呼ばれる)とは、自分の達成を疑い、いつか「偽物」だと暴かれてしまうのではないかという内面化された恐れを抱き続ける、心理的なパターンのことである。
社会は、トランスの人に自分自身を疑わせるのがとても上手です。私たちは人生を通して、「トランスであることは普通ではない」「そうである人はよほど特別な存在に違いない」というメッセージを、無数に、潜在意識の奥へと刷り込まれていきます。シスのメディアが「間違った体に生まれた」という物語に執着してきたせいで、トランスの若者たちは多くの誤った情報を内面化する結果となりました。多くの、本当に多くのトランスの子どもたちが、「自分は実はトランスではない。だって、自分が別のジェンダーだと確信しているわけではなく、ただそうなりたいと願っているだけだから」と思い込んだまま大人になっていきます。多くのノンバイナリーの子どもたちもまた、何かがしっくりこないと感じながら育ちますが、自分が二元的なトランスの人と同じようには感じられないために、自分がトランスだとは信じられないまま大人になっていきます。
これに加えて、「トランスの人は自分の体を憎んでいる」「自分の性器を憎んでいる」というメッセージが、世間の認識をすっかり汚染してしまっています。その結果、身体的違和を経験していない(あるいは、自分の違和はそれほど強くないと感じている)多くの人が、自分は「十分にトランスではない」と思い込んだまま生きています。
Faith @RoseOfWindsong Gay people 2 decades ago: *exist*
Bigots: "They're trying to turn our children gay! We must protect our children!"
Trans people now: *exist*
Bigots: "They're trying to convince our gay kids they're the wrong gender! We must protect our gay children!"
さらに、トランスの人は本当のジェンダーを生きているわけではなく、ただ人を騙してそう信じ込ませようとしているだけだ、というトランスフォビックなメディアからの絶え間ないメッセージが、ウイルスのように内面化されていきます。これは、とりわけ数えきれないほどのジェンダーのステレオタイプを前にしたとき、自分のジェンダーの真正性について、大きな自己不信を生み出します。自分がそうしたステレオタイプに当てはまらないのを見ると、「自分のジェンダーの基準を満たしていない」と簡単に思い込んでしまうのです(補足:シスジェンダーの男性や女性も、こうした思いをあまりにも頻繁に抱きます)。
さらに、トランスフォビックな虐待を受けてきた過去があるために、多くのトランスの人は自尊心が傷ついた状態にあり、すでに自己不信に苦しんでいることも少なくありません。性別違和はうつも引き起こし、それがこうした疑念をさらに後押しし、強めてしまいます。これらすべてが絡み合って、巨大な自己否定のかたまりとなり、自分自身の性自認を受け入れるために、何度も何度も苦しみながらもがくことになってしまうのです。
でも、実は……自分が本当にトランスジェンダーなのかと悩むのは、トランスの人だけなのです! シスジェンダーの人は、自分のアイデンティティにこんなふうにとらわれたりしません。少し考えて、整理して、それで先に進んでいきます。もしあなたがこうした思いに何度も何度も立ち返ってしまうのなら、それはあなたの脳が「間違った方向に進んでいるよ」と教えてくれているのです。
世界は、私たちを疑いで満たし、確立された社会秩序から私たちが抜け出さないように仕向ける影響力であふれています。以下に挙げるのは、トランスの人を否定し、私たちが自己実現を果たすのを妨げようとする、そうしたしくみやイデオロギーのいくつかです。
オートガイネフィリア
𝓙𝓸𝓬𝓮𝓵𝔂𝓷
⚢
@TwippingVanilla A friend of mine who just started her transition this week asked me yesterday if I ever got turned on by seeing myself. I knew immediately what she was actually asking, so this is a PSA for all those trans femmes out there feeling invalidated by their own bodies.
𝓙𝓸𝓬𝓮𝓵𝔂𝓷
⚢
@TwippingVanilla Im gonna be blunt: Your gender is not invalid because you get an erection when seeing yourself dressed as feminine. We’ve all gotten it. It doesn’t mean you’re fetishizing. It doesn’t mean you’re not actually trans.
All it means is that you feel good about how you look.
𝓙𝓸𝓬𝓮𝓵𝔂𝓷
⚢
@TwippingVanilla Gender Euphoria is sexy. Being comfortable in your clothes is sexy. Liking the way you look is sexy. *Feeling sexy is sexy!!*
That triggers a turn on, the body reacts to sexy things.
Here’s the kicker: Cis Women get this too!!! It’s literally just a lady boner!
𝓙𝓸𝓬𝓮𝓵𝔂𝓷
⚢
@TwippingVanilla Over time this reaction happens less and less as you get more used to preseting as yourself. Eventually most clothes are just clothes, it’s just your new normal.
𝓙𝓸𝓬𝓮𝓵𝔂𝓷
⚢
@TwippingVanilla But that special outfit that makes you feel really hot? That new dress that you try on for the first time and feel really cute in? That lingerie that you bought specifically to feel sexy in?
Yes, that triggers it. All it means is thst you’re happy.
𝓙𝓸𝓬𝓮𝓵𝔂𝓷
⚢
@TwippingVanilla Let me tell you, the massive relief my friend displayed at learning that this was completely normal was palpable. The poor girl had been stressing about that so hard.
She didn’t even know about AGP, but she knew the stigmas and was terrified that this meant she was fake.
このパターンは、トランスへの認知がちょうど高まり始めた1980年代後半、レイ・ブランチャード(Ray Blanchard)のオートガイネフィリア(AGP)理論が大きな支持を集めたことで、強く補強されてしまいました。AGPは、トランス女性のアイデンティティの源をパラフィリア(性的倒錯)を用いて「説明」しようとする、疑似科学的な説明です。ブランチャードはトランス女性を、男性に惹かれるか女性に惹かれるかによって分類し、同時に彼女たちの女性性を否定しました。彼の研究はトランス男性を完全に無視し、ノンバイナリーのアイデンティティについては完全に退けています。
オートガイネフィリアは、ストレートのトランス女性は実のところ、ストレートの男性から欲望を引き出すために女性的な外見を求めているゲイ男性にすぎず、トランス・レズビアンは実のところ、女性への欲望にとりつかれるあまり、自分自身から性的満足を得るために女性になりたがっているストレートの男性にすぎない、と主張します。
ブランチャードの理論は主に、移行し始めたばかりの女性において、女性的に装うことがしばしば性的興奮をもたらす、という点に依拠していました。というのも、彼の研究対象の大半は、初めてホルモン療法(HRT)を受けようとする患者であり、そのため女性として振る舞うことにまだとても不慣れだったのです。
そう、信じがたいことですが、これは何年ものあいだ、妥当な心理学の理論として扱われていました。大学の教科書にまで載っていたほどです。ブランチャードの研究は科学的な厳密さを満たしておらず、彼のデータには極めて多くの欠陥があることが判明しました(彼は患者を操作し、自分の仮説に合わないデータはただ捨ててしまっていました)。彼の理論の多くは、女性に対するミソジニー的な見方に根ざしており、しかもこの人物は、対照群として機能させるためのシスジェンダー女性を、研究に一人も加えていませんでした。この理論がいかに不備だらけであるかについては、ジュリア・セラーノ(Julia Serano)の素晴らしいエッセイThe Case Against Autogynephilia(オートガイネフィリアへの反論)で、さらに詳しく読むことができます。
AGPは2000年代後半までに現代の心理学から完全に退けられましたが、すでに被害はもたらされた後でした。世間の目には、トランス女性はみな倒錯したフェティシストだったのです。トランス女性を描くメディアの表現もこの態度を映し出し、否定的なイメージを人々の意識へとさらに広めていきました。
トランスフェミニンな人たちはこうしたメッセージを内面化し、自分は本当はトランスジェンダーではなく――ただのフェティシストなのだ、という結論に行き着いてしまいます。私自身もそうでしたし、私が知るかぎり、十代のうちに自分のことに気づいたミレニアル世代のトランス女性は、ほぼ全員が同じ経験をしています。
あなたはフェティシストではありません。自分を女性として思い描くときに湧き上がってくるその感情は、性別高揚感です。
家父長制による抑圧
出生時に女性と割り当てられた者(AFAB)にとってよくある否定の源は、ジェンダーと女性に対する制度的な抑圧を混同してしまうことで、とりわけ医療的な移行をしていないノンバイナリーの人のあいだで起こりがちです。「ああ、あなたはただ、女性の扱われ方が嫌だから女性になりたくないだけでしょう」というメッセージは、あまりにも頻繁に投げかけられ、それは潜在意識の奥深くにまで入り込み、自己不信へとつながっていくことがあります。けれども、これはあまり筋が通っていません。なぜなら、もしあなたがAFABで、しかも女性ではないのなら、あなたはトランスジェンダーだということになりますし、平均すれば、社会はトランスの人を女性よりもひどく扱うからです。ですから、制度的な抑圧から逃れるために移行する、というのはばかげた考えです(そして私自身、そんな理由で移行したトランスの人に出会ったことは一度もありません)。
ラディカル・フェミニズムが掲げる「女性のジェンダー役割を捨てよう」というメッセージもまた、自分自身の感情を読み解くのを難しくすることがあります。「私は本当にノンバイナリーなのだろうか、それともただのフェミニストなのだろうか?」「私は本当に男性なのだろうか、それともただ、とてもブッチなレズビアンなだけなのだろうか?」――こういうときには、シスジェンダー女性のフェミニスト、とりわけレズビアンの人と話してみることをおすすめします。彼女たちは抑圧のしくみや家父長制について不満を口にするでしょうが、問題はすべて外側にあるのであって、彼女たち自身は女性でありたいのです。とてもブッチなレズビアンでさえ、女性でありたいと思っています――ただ、主流の女性らしさとは違うかたちで、というだけのことです。
それから、「ノンバイナリーであるとはアンドロジナス(中性的)であることだ」「アンドロジナスであるとは女性らしさが薄いことだ」と思い込んでしまう、という問題もあります。フェミニンなエンビー(ノンバイナリー)だって、ちゃんと正当な存在です! 乳房を取り除きたくなくても、それでいいのです。自分の体の曲線が好きでも、それでいいのです。「彼女(she/her)」と呼ばれても気にならなくても、それでいいのです。だからといって、あなたのトランスジェンダーとしての度合いが減るわけではありません。
もしあなたが、自分は二元的な意味での女性ではないと感じるのなら、あなたは二元的な意味での女性ではないのです。シスジェンダー女性は、そうした切り離されたような感覚を経験しません。
有害な男性性
出生時に男性と割り当てられた子どもたちは、「男であるとはこういうことだ」というメッセージにどっぷりと浸かりながら育ちます。ポピュラーなメディアには、ポジティブな男性性の例があまりにも少なく、出生時に男性と割り当てられた者(AMAB)のマスキュリンなエンビーも、トランスの表象のなかでしょっちゅう消し去られてしまうため、ジェンダークィアな男性であることは、とても孤独に感じられることがあります。AMABのエンビーは、しばしばシスジェンダーのゲイ男性とひとくくりにされるか、トランス女性のように扱われてしまいます。
あなたはただジェンダークィアでいていいのです! あなたのアイデンティティは正当なものです!
トランスメディカリズム
これはみんなに降りかかります。トランスメディカリズム(別名トゥルートランス/Truetrans)は、ハリー・ベンジャミン・スケール(5段階目と6段階目)から派生したトランスジェンダーのイデオロギーです。それはWPATH以前のルールを強化しようとするもので、強烈な身体的違和を必須とし、医療的な移行を要求し、しばしばあらゆるノンバイナリーのアイデンティティを否定します。その核心において、トランスメディカリズムは優越主義的な考え方であり、二元的なトランスの人を、ほかのどんな性自認のニーズよりも上に置き、トランスジェンダーというアイデンティティの広がりに対する揺り戻しとなっています。彼らは、いまよりもさらに厳しいゲートキーピングを望み、エンビーがトランスジェンダーという言葉を使うことに激しく反発し、性別違和の治療を受けられる人がもっと少なくなればよいと考えています。
簡単に言えば、多くのトランスメディカリストは、新しい世代が「ずいぶん楽をしている」ことを嫌っています――彼ら自身の多くがまさにその世代の一員であるにもかかわらずです。このイデオロギーは、不満を抱えたトランスの年長者たちのあいだで始まりましたが、その後ほかの二元的な人たち、とりわけ若いトランス男性のあいだへと広がっていきました。
もしトランスの人が初めて触れるトランスネスの形がトランスメディカリストだった場合、それはその人自身の自己受容を深刻に後退させ、いっそうクローゼットの奥へと追いやってしまうことがあります。トランスメディカリスト(トランスメッド)は、実際に人に向かって「いや、あなたはトランスじゃない」と言うことでよく知られています。
こうした嘘を信じないでください。 これらは、自分の満足のために人の痛みをガスライティングし、切り捨てるためにあからさまに作られた、いじめの手口なのです。
トランスの人が内面化してしまいかねない、関連した有害な考え方もほかにあります。それは、移行を「やらなければならないことのリスト」としてとらえることをめぐるものです。その一例が、性別記載(ジェンダー・マーカー)を変更していないかぎり、正しくジェンダリングされることを期待してはいけないし、ミスジェンダリングについて不満を言うことすら許されない、という思い込みです。言い換えれば、法的な条件を満たして初めて代名詞を尊重してもらえるという考え方、すなわちトランスリーガリズム(translegalism)です。性別記載の変更は複雑で長くかかりうる手続きであるばかりか、アウティングするリスクを冒せない人もいますし、そもそも大多数の国は、性別二元論の外にある性別記載を認めようとすらしません。それなのにトランスリーガリズムは、その人に向かって「身分証明書の記載のせいで、あなたはミスジェンダリングされて当然だ」と思い込ませてしまうのです。
トランス排除的・反動的フェミニズム(TERF)/ジェンダー・クリティカル運動(GC)/ジェンダー本質主義
ジェンダー本質主義とは、人が生まれ持った性器が何であるかによって、その人の存在に生まれつき備わった属性が決まる、とする考え方です。TERFやGCのイデオロギーは、第二波フェミニズムのレズビアン分離主義運動のなかから生まれたもので、トランスジェンダーの生物学的な実在も、ノンバイナリーのアイデンティティも、まるごと否定します。この運動は、右翼の反動主義者やレイシスト、ホモフォビアの人たちにおおむね乗っ取られ、いまでは福音派キリスト教の団体によって勢いづけられています。
こうした人たちは、あなたの存在を否定するためなら、どんな手段も辞さないでしょう。彼らにかかずらう時間など、少しもくれてやる必要はありません。
ジェンダー廃絶主義/ポストジェンダリズム
ポストジェンダリズムとは、ラディカル・フェミニズムに端を発するトランスヒューマニズムの思想で、ジェンダーは益よりも害のほうが大きいとし、それを社会から根絶することを目指すものです。旧来型のTERFは、トランスの人が存在すべきではない理由づけとして、このジェンダー廃絶主義(GA)に飛びつきました。このトランス排除的なジェンダー廃絶主義の一派は、あらゆるジェンダーは構築物にすぎず、二元的なジェンダーに強い結びつきを感じる人はみな、悪意をもってジェンダーのステレオタイプを広めているか、さもなければ無知なまま制度的な刷り込みに従っているだけだ、と信じています。彼らは性別違和の存在を信じておらず、それを経験している人たちを否定しようとします。
注意してほしいのですが、これはポストジェンダーやジェンダー廃絶主義そのものを自認するトランスの人について言っているのではありません。あくまで、TERFがこうした概念を悪用していることについての話です。
キュレーターより: 以下のページは、キャシー・ラベル(Cassie LaBelle)が書いた素晴らしい記事から、許可を得て転載したものです。彼女のほかの文章は Medium で読むことができます。
私はトランスジェンダーなの?
訳注:この章は、北米・西洋の(しばしばキリスト教的な)文化のなかで育ったトランス女性が経験しがちな、典型的な状況を念頭に書かれています。文化的な背景が違えば、ここで描かれる感覚や歩みも変わってきます。あくまで一つの語りとして、批判的に読んでください。ノンバイナリーの人やジェンダー表現が一致しない人のなかには、この語りには当てはまらないと感じる人も多くいます。それでも、どう感じるにせよ、あなたの感覚はすべて正当なものです。
自分のジェンダーに疑問を抱き始めるよりずっと前から、わたしはこんな何気ない空想をしていました。仲のいい女友達の一人がわたしのところへやって来て、こう言うのです。「もうやめなよ。あなた、誰も騙せてないよ」と。
もし当時、誰かにその空想について問い詰められたとしても、「誰も騙せてない」とわたしが何を言いたかったのか、はっきり説明することはできなかったでしょう。心の奥では、それがおそらくジェンダーに関係しているのだとわかっていました。でも、わたしの口はその言葉を形にすることができませんでした。わかっていたのは、自分がほんとうの自分ではない誰かのふりをしているということ、それも、ぼんやりとした、受け身で、つかみどころのない感覚としてだけでした。
トランス女性として自分を受け入れ、長いカミングアウトの過程を始めたとき、わたしが何より望んでいたのは、誰かに「もう知っていたよ」と言ってもらうことでした。「気づいてくれて、ほんとうに嬉しい」と感激してほしかったのです。「何年も前から本当のことを知っていたよ。すごく明らかだったもの。あなたが男の子だなんて、どうしてみんな思えたのか、わたしには分からないくらい。これからやっと、ほんとうの自分として生きられるようになって、ほんとうに嬉しい」と。
でも、誰もわたしにそんなことは言ってくれませんでした。カミングアウトの過程はうまくいき、友人のほとんどは支えになってくれました。けれど、わたしが渇望していた外からの承認を得ることは、ついにありませんでした。友人や家族がわたしをトランスとして受け入れてくれたのは、わたしが「自分はトランスだ」と伝えたからです。わたしがこの二十年間、ほとんど存在もしていなかった男という、サイズの合わない衣装をまとって過ごしてきたことには、誰も気づいていなかったのです。
親友のリリーは、「エッグ・プライム・ディレクティブ(Egg Prime Directive)」 という言葉を生み出しました。これは、トランスの人々のあいだに、ジェンダーに疑問を抱いている人へその人がトランスかどうかを告げない、という暗黙の約束があることを表す言葉です。
ただ「あなたはトランスだ」と告げられると、それは否認の余地を生み、内面化されたトランス嫌悪によって築かれた防衛機制を作動させてしまいます。そして、その人をさらにクローゼットの奥へと押し込んでしまう可能性が高く、場合によっては露骨なトランス嫌悪者にしてしまうことさえあります。たとえそうならなかったとしても、本人の潜在意識が自分の違和を拒絶する余地が残ってしまい、「自分はただ操られた、あるいは騙されただけだ」と思い込ませてしまうのです。 ずっと効果的なやり方は、自分自身の違和の経験について語ることです。そうすれば相手は共通点を見いだし、自分のジェンダーについて自分なりの結論にたどり着けます。この掟が禁じているのは、相手のジェンダーを探る手助けをすることではありません。相手にジェンダーを割り当てることを禁じているのです。 もっと簡潔に言えば、マトリックスが何であるかは、誰かに教えてもらえるものではありません。自分の目で見るしかないのです。[1]
エッグ・プライム・ディレクティブに従わないトランスの人もきっとどこかにいるのでしょうが、わたしは出会ったことがありません。これは、わたし自身も含めてトランス・コミュニティ全体を一つに結びつけている、数少ないものの一つのように思えます。わたし自身、何よりも外からの承認を欲していたにもかかわらず、いまでは、ほんとうの受容は自分の内側からしか生まれえなかったのだとわかります。あなたがトランスだと告げることができる唯一の人は、あなた自身なのです。
ここに逆説があります。クローゼットにいるトランスの人のほとんどは、自分の内なる声を信じることがどうしようもなく苦手なのです。世界が自分をどう見ているかと、自分が自分をどう見ているかとのあいだに、つきまとう食い違いを抱えたまま一生を過ごしていると、「ほんとうのあなたは誰なのか」を他人に語ってもらうほうが楽になっていきます。たとえ心の奥底では、人生で関わるすべての人が自分のアイデンティティについて何か根本的な事実を見落としていると分かっていても、自分の声より他人の声に耳を傾けてしまうのを避けるのは、ほとんど不可能なのです。
そこで今日のわたしの目標は、わたし自身が自分を受け入れる助けになった情報や考え方の枠組みを、いくつかお伝えすることです。あなたがトランスジェンダーかどうかをわたしが告げることはできません。でも、あなた自身が歩んでいけるかもしれない道を指し示すことはできます。答えを差し出すことはできなくても、ふさわしい問いを投げかけてみることはできます。
相手がまだ自分自身に問いかけたことがないのなら、たとえ100%確信していたとしても、その人にトランスジェンダーだと告げるのは決して安全ではありません。性別違和について教えることもできますし、相手の感情とあなたの感情の共通点を示すこともできます。でも、ある人にただ「あなたはトランスジェンダーです」と言うことはできないのです。
なぜでしょう? たいていの場合、相手はあなたの言葉を信じないからです。
内面化されたトランス嫌悪は、「自分がトランスであるはずがない」あるいは「トランスであることは何か否定的で忌み嫌われるものだ」と、わたしたち全員に刷り込んできました。家庭内や育ちのなかから生じる圧力は、自分を受け入れることを極めて難しくしてしまうことがあります。
まだ疑問さえ抱いていない人に、あなたがその人をトランスジェンダーだと思っていると告げようとすると、自己防衛の機制が作動します。その人の潜在意識はその言葉を積極的に拒絶しようとし、その示唆はその人をさらにクローゼットの奥へ押し込むばかりか、そう言ったことであなたに敵意を向けさせる可能性さえ高いのです。多くのトランス嫌悪者は、自分自身がジェンダーをめぐる葛藤と闘っている明らかな証拠を見せていますし、自己防衛のためにかつてトランス嫌悪的だった経歴をもつトランスの人々も少なくありません。
たとえその人があなたの言葉を受け入れたとしても、本人に自分で気づかせるのではなくあなたが告げてしまったという事実そのものが、その人自身の潜在意識に、自分の違和への疑念を植えつける隙を残してしまいます。そして「この考えは誘導されたものだ」とか「自分はトランスだと信じ込まされたのだ」と思い込ませてしまうのです。誰かが自分はトランスだと知るための、唯一安全な道のりは、自分でそれに気づくことなのです。
最後に、トランスであることの目的そのものは、自己決定と自己実現にあります。ある人にトランスだと告げる行為は、その人が生まれたときに行われた割り当てと同じくらい強制的な割り当てに、まちがいなくなってしまいます。相手が自分自身を理解する手助けをしたいのなら、あなたの人生について話し、違和がどのように働くのかを伝え、このサイトを紹介し、そして相手が経験していることがシスの人々が抱えずに生きているものなのだと気づける方法を示してあげてください。
もちろん、相手が「わたしのことトランスだと思う?」と尋ねてきた場合は別です……そのときには、もうプライム・ディレクティブは適用されません。
いつものことですが、わたしはジェンダーをめぐるセラピーについて専門的な訓練を受けていない、ということをご理解ください。これはあくまで、わたし自身の素人なりの調べごとと個人的な経験——その多くはわたし自身の歩みや、ほかのトランス女性やジェンダーに疑問を抱く人たちとの会話——をもとに書いています。わたしが、三十代前半でトランジションした、かなりバイナリー寄りのトランス女性という立場から語っていることも心に留めておいてください。つまり、わたしにはまだ見えていないトランスの経験がたくさんあるということです。トランスマスキュリンの人やノンバイナリーの人、そしてほかの多くのトランス女性にとっては、事情が違ってきます。これは万人向けの専門家ガイドのつもりではありません。いまのわたしがあなたに差し出せる、精いっぱいのものにすぎないのです。
ほとんどのシスの人は、自分のジェンダーについてあまり考えていない、ということを考えてみてください
あなたがもう、自分のジェンダーに疑問を抱く段階にいるのなら——たとえそれが、「私はトランスジェンダーなの?」と検索して、結果が出る前にノートパソコンをばたんと閉じる、という程度のことだとしても——おめでとうございます。あなたはすでに、ほとんどのシスの人が一生かけても考える以上に、自分のジェンダーについて考えてきたのです。
わたしはシスの友人の多くに、自分の性自認(ジェンダー・アイデンティティ)について真剣に考えたことがあるかと尋ねてきましたが、十中八九、考えたことがないと言います。シスの人は、女の子だったらどんなふうだろうと年がら年中思いめぐらしたりしません。別の体で目が覚めたらどんなに素敵だろう、なんて空想にふけったりもしません。入れ替わり映画を思い浮かべて胸が高鳴ったりもしないのです。なかには、出生時に割り当てられた性別とは別のジェンダーの体だったらどんなだろうと想像したことのある人もいるかもしれませんが、そうした思考実験はほんの一瞬で、純粋に頭のなかだけのものです。
そこにはエネルギーがありません。彼らにとっては、ないのです。もしあなたがジェンダーについて考えるとき、不思議な種類のエネルギーを感じるのなら、それはおそらく何かを意味しています。
ほとんどのシスの人は、出生時に割り当てられた性別を積極的に気に入っている、ということを考えてみてください
最初はこれが信じがたかったのですが、シスの人は実際に自分のジェンダーを楽しんでいるのです! シス男性は男性であることが好きですし、シス女性は女性であることが好きです。彼らは、ひそかに「反対の」ジェンダーや、ジェンダーのない存在や、そのほか何かに生まれたかったと願ったりはしていません。すでに確認したとおり、彼らは自分のジェンダーについてそもそもあまり考えていないのです。
もちろん、ここには込み入った事情もあります。多くのシス男性は、有害な男らしさを息苦しく、ひどいものだと感じ、自分のジェンダーの問題ある社会的側面を積極的に拒もうとします。多くの女性は、ミソジニーや家父長制、そして古典的なジェンダー役割の専横に深くうんざりしています。「男であることを楽しむ」というのは、NFL(アメリカンフットボール)観戦以外のあらゆる場面で感情を押し殺さなければならないことを愛しているという意味では必ずしもありませんし、「女であることを楽しむ」というのも、男性の同僚に見下されたり、「で、結婚はいつなの?」と絶えず聞かれたりすることが大好きだという意味であることはまずありません。
でも、そういったものをすべて取り払ってみると、どうでしょう? シスの人はやっぱり自分のジェンダーを楽しんでいます。社会のなかで自分のジェンダーが演じられるあり方の、ある部分が違っていたらいいのに、とは思うかもしれません。けれど、もし入れ替えが選べるとしても、彼らはやはり自分に割り当てられたジェンダーを選びつづけるでしょう。残念なことに、クローゼットにいる多くのトランスの人は、シスの人が自分のジェンダーの腹立たしく問題のある側面について不平を言うのを聞いて、誰もが自分と同じように、自分のジェンダーをそこそこ嫌っているのだと思い込んでしまいます。
クローゼットにいるトランスの人はまた、「男であることが嫌いではない」と「男であることを楽しんでいる」を同じことだと思い込みます。「自分は男であることが嫌いではないから、トランスのはずがない」というような言い方をする、ジェンダーに疑問を抱く女性たちに、わたしはこれまで数えきれないほど出会ってきました。そして彼女たちは続けて、男性として見られることについて自分が嫌っている小さなことを、まるで自分のジェンダーが、どうやっても脱ぐ方法が見つからない濡れた靴下であるかのように、いくつもいくつも語り出すのです。
わたし自身、自分に対してカミングアウトする前は、男として見られることを積極的に憎んでいたわけではなかった、と聞けば、あなたは驚くかもしれません。男として見られることが、わたしにとって絶えざる苦しみの源だったわけではありません。それはただ……どうやらそれが自分なのだから、と、なんとなく一緒に生きていくことを覚えただけでした。男として見られることに積極的に傷つけられていると感じるのでなければトランスではありえない、と多くの人が信じていますが、その特有の感覚は、たいていトランジションを始めて、ようやく自分がほんとうは誰なのかを知ったあとになってからしか訪れません。自己受容の前は、出生時に割り当てられた性別との関係は、苦痛というよりも、むしろ断絶のように感じられることのほうが多いのです。
クローゼットにいるトランス女性が、「だって、男であることが嫌いなわけじゃないし、男には制度的な特権がたくさんあるでしょう。たとえできたとしても、自分から女性になることを選ぶとは思わない。だって、男性特権を手放したくないから」といったことを言うのも、わたしはこれまで数えきれないほど耳にしてきました。男性特権はもちろん実在します。でもそれは、男であることの永遠の不快さに耐えなければならない見返りとして男性に与えられる報酬ではありません。男性は男性であることを楽しんでいて、社会的特権がなくても、やはり男性であることを楽しむでしょう。もし、男らしさについてあなたが気に入っている唯一のものが男性特権だというのなら、それはおそらく何かを意味しています。
まだ自己受容していないトランス女性にとって、性別違和は違った見え方をする、ということを考えてみてください
何年ものあいだ、わたしは性別違和を感じていないのだから自分はトランスのはずがない、と思っていました。それは大まちがいでした。
自分が違和を経験しているのだと気づけなかった理由の一つは、魚が自分が水のなかを泳いでいると気づかないのと同じ理由でした——それがずっとわたしの人生のありようだったので、つねに違和を抱えているのが人間として普通のことなのだと思い込んでいたのです。わたしは自分が少し悲しげで、ちょっと変わっているということは分かっていましたし、男らしさをめぐる自分の経験が少なくともいくらかはジェンダー非定型的だということも分かっていました。でも、実際に何が起きているのかまったく見当もつかないまま、毎日毎日、違和の痛みと付き合っていたのです。どれだけ気分が悪くても、わたしはいつも、ジェンダーとはまったく関係のない、それなりに納得のいく説明をひねり出すことができました。
もう一つの問題は、性別違和が、自己受容前のトランス女性と自己受容後のトランス女性とでは、違ったかたちで現れることです。わたしはずっと、性別違和とは、鏡をのぞきこんで、女の子ではなく男の子が見返してくることから来る苦しみのことだと思っていました。でも、それはトランジションを始めるまで、わたしが実際には抱いたことのない感覚でした。自分が女の子だと気づくまでは、鏡に女の子が映っていないことに苦しむことなどできないのです!
それ以前の段階では、違和ははるかに微妙な、何十通りもの別のかたちで現れます。わたしは自己受容前の違和の経験について、ここに書きました。これはわたしにとって、これまでで最も多く読まれた文章になっています。もしあなたが自分のジェンダーに疑問を抱いているなら、ぜひ全文を読んでみることを強くおすすめします。
帰無仮シス説を考えてみてください
数学において、帰無仮説とは、誤りであることが証明されるまでは一般に正しいと仮定されるもののことです。それは初期設定の前提、たとえば「有罪と証明されるまでは無罪」のようなものです。たとえば、誰かに殺人の有罪を宣告しようとするなら、状況証拠だけでは足りません。一般に、圧倒的な物的証拠か、自白か、あるいはその他の明白な有罪の証拠が必要になります。
ナタリー・リード(Natalie Reed)によるこの優れた記事は、シスジェンダー(トランスではないこと)が、わたしたちの社会で帰無仮説として扱われていると論じています。わたしたちは皆、出生時に割り当てられた性別であると仮定され、そして自分のトランス性を証明するためには圧倒的な証拠が必要なように感じてしまうのです。そうでなければ、わたしたちは引き続き、自分はシスなのだと仮定しつづけます。
これは大きな枠組みで見れば理にかなっています。なぜなら、世界にはおそらくトランスの人よりシスの人のほうが多いからです。けれども、先ほど話したように、自分の性自認に心地よくいられる人のほとんどは、こうした問いかけをしていません。もしあなたがこの自己発見の段階にたどり着いているのなら、あなたが完全にシスではない可能性は、かなり高いのです。
帰無仮シス説は、シンプルで効果的な問いを投げかけます。天秤に乗せていた指を離したとき、あなたがトランスである可能性はどのくらいでしょう? もし「わたしはシスだ」と「わたしはトランスだ」という二つの仮説に等しい重みを与え、トランス性ばかりに立証責任のすべてを背負わせるのをやめたとしたら、あなたにとって何がしっくりくるでしょう? トランス性の証拠を探すのと同じやり方でシス性の証拠を探しはじめると、ときに幻想そのものが、がらがらと崩れ落ちることがあります。
もしあなたが女の子/男の子になりたいのなら、あなたはすでに女の子/男の子だ、ということを考えてみてください
ほんとうに、それくらいシンプルなことです。男性は男性でありたいと思い、女性は女性でありたいと思います。もしあなたが男性でありたいのなら、あなたは男性です。もしあなたが女性でありたいのなら、あなたは女性です。もしどちらにもなりたくない、あるいは両方になりたい、あるいはあるときは女性で別のときは男性でありたいというのなら、あなたはおそらく、ジェンダーフルイドかノンバイナリーの、何らかのかたちなのでしょう。
「でも、そんなこと……勝手にできるわけがない!」という声が聞こえてきます。でも、あなたは間違いなく、ただそうしていいのです。実のところ、これこそが、あなたが自分自身に答えなければならない、ただ一つの本質的な問いなのです。もしあなたが女の子になりたくて、自分のことをずっと男の子だと思ってきたのなら、あなたはおそらく女の子として生きるほうが幸せでしょう。トランジションが自分に幸せをもたらすかどうか、少なくともいくつかのステップを踏んで確かめてみる価値はありますよね?
自分を疑うことは、あなたがトランスかもしれないという可能性を否定するものではない、ということを考えてみてください
何年も——いえ、何十年も——わたしは自分がトランスではないと「分かって」いました。なぜなら、「本物の」トランスの人は、自分のアイデンティティに揺るぎない確信を持っているはずだ、と思っていたからです。わたしは、抑圧を前にしても毅然として、自分を女性として扱うようみんなに要求する、若いトランス女性という、つくられたイメージを内面化していました。
トランスであるとはこういうことなのだ、とわたしは思っていました。勇敢さ、度胸、そして自分のアイデンティティへの揺るぎない絶対的な確信。それはわたしではなかったので、わたしはトランスではありえなかったのです!
ところが実際には、トランジション前にこんなふうに感じている本物のトランスの人は、ほとんどいません。それどころか、わたしたちはほぼ全員、自己疑念に満ちた状態で旅を始めます。あの揺るぎない確信は、たしかにやがて訪れることが多いのですが、それには何ヶ月、あるいは何年もの自己受容と、(少なくともわたしの場合は)ホルモン療法(HRT)や社会的なトランジションというかたちでのさらなる承認が必要になることもあります。
でも、始まりのときには、わたしたちはほぼ全員、自分のジェンダーが混乱したぐちゃぐちゃのものに感じられます。クィアのアイデンティティを名乗れるほど「トランス」であるはずがないと感じ、トランジションするほど「トランス」だなんて、とても思えません。自分は間違った決断をしているのではないか、大げさに反応しているのではないか、自己保存のための小さな繭から一歩外へ踏み出すことは、人生で犯しうる最大の過ちになりかねないのではないか、と不安になります。
もしあなたがこうしたことをすべて感じているなら、あなたは仲間に恵まれています。わたしのセラピストは、「自分は十分にトランスなのか?」と問うことはあまりにもよくあることなので、ほとんどトランスであることの症状みたいなものだ、と冗談を言うほどです。自分の性自認は、それを問うことなしには解き明かせませんし、自己疑念はその過程の正常な一部なのです。
あなたのトランスとしての歩みは、世に広く受け入れられた物語に当てはまらないかもしれない、ということを考えてみてください
大衆文化はおおむね、語る価値のあるトランスフェミニンの物語は一つしかない、と決めてかかっています。それは、ごく幼いころに自分のアイデンティティに気づく、若いトランスの女の子の物語です。彼女は子どものころから人形やお茶会に惹かれます。姉のワンピースを着てみたり、化粧品やアクセサリーを買ってと母親にねだったりします。見た目もたいてい、ずっと女の子そのものです——女性的な顔立ち、小柄な体格、細身で中性的。子ども時代や思春期にトランジションしなくても、彼女はどういうわけか、大人になってもおおむね女性のような見た目のまま、たどり着くのです。彼女はいつも女装をしていて、ドラァグクイーンだったりするかもしれません。そしておそらく男性に惹かれていて、ひと時セックスワーカーとして働いた経験があったりするかもしれません。
これは正当で、よくあるトランスの物語です。わたしも、こうした型の一部または全部を経験した女の子たちを大勢知っています。この物語が何度も何度も語られるのには、やはり理由があるのです。
とはいえ、わたしが知っているトランス女性の大多数は、これとはまったく違います。多くは、ミニカーやテレビゲーム、おもちゃの銃と一緒の、いかにも典型的な男の子の子ども時代を過ごしました。多くは女装などまったくしたことがなく、ドラァグ文化にいくらか嫌悪感さえ覚えていました。多くは、大きな体や広い肩幅、もじゃもじゃの髭とともに育ちました。多くは男性にまったく惹かれず、一方でバイやパンセクシュアルの人もいます。多くは、二十代後半や三十代前半になるまで、自分のジェンダーを真剣に問いはじめませんでした。多くは、過去にトランスである「兆候」がまったくありません。彼女たちはただ、人生のすべてを、自分は男だと受け入れて過ごしてきただけなのです。そういうものだ、と。そうではなくなる、そのときまでは。
これはよくあるトランスの物語ですが、誰もほとんど語りません。こうしたトランス女性たち——わたしのような——が、自分たちの物語を打ち明けるようになったのは、ほんとうにここ数年のことです。それ以前は? 耳に入ってくる物語といえば、先ほどわたしが書いたものだけでした。だからこそ、あのトランスの物語が「正しい」もので、こちらの物語は「間違っている」ように見えてしまうのです。
でも、わたしたちのような女の子は、ものすごくありふれているのです。2003年のこの科学的研究(読む場合は、古い言葉づかいにご注意ください)は、何十年もトランス女性とともに歩んできたある研究者の観察を記録しています。彼女の経験では、トランス女性には三つの明確なグループがあり、そのうち二つは先ほどわたしが書いた「ずっと前から分かっていた」という道筋をたどり、一つはたどりません。彼女によれば、「グループ3」のトランス女性は典型的な男の子の子ども時代を過ごし、トランスである通常の兆候を見せない傾向があり、人生の後半でカミングアウトする傾向があります。なかには女装をする人もいますが、しない人も多く、もっと微妙で内面的なやり方で自分の違和に対処することを選びます。疑問を抱いていた時期にその論文を読んで、自分とそっくりなトランス女性がこんなにもたくさんいるのだと気づいたとき、わたしがどれほど肯定された気持ちになったか、言葉では言い尽くせません。
また、わたしたちのようなトランス女性がいまカミングアウトしているのは、はるかに多くの表象(リプレゼンテーション)と、はるかに多くのリソースがあるからだとも思っています。1991年、2001年、いえ2011年でさえ、トランジションへの道はずっと険しく、ほとんどの人が、公にトランスとして生きている人を一人も知りませんでした。そんな世界でトランジションを選んだのは、しないでいることがほとんど不可能な人たちだけでした。
ここ2021年では、自分のジェンダーを問うことが楽になっただけではありません。トランス・コミュニティやホルモン、その他の重要なリソースを得ることも、楽になっているのです。もし三十年早く生まれていたら、わたしはまったくトランジションしなかったかもしれません。もし三十年遅く生まれていたら、おそらくティーンエイジャーのときにトランジションしていたでしょう。自分が「ずっと前から分かっていた」かどうかなど、心配しないでください。この問いを真に自分に投げかける自由とリソースを、あなたがいま初めて手にしているのなら、なおさらです。
あなたが自己受容を妨げているものは、あなたのアイデンティティとは何の関係もないかもしれない、ということを考えてみてください
疑問を抱いているトランス女性と話していると、会話はやがて、彼女がトランジションを選んだ場合に直面しうる障害へと向かっていきます。「背が高すぎる/体が大きすぎる/毛深すぎる/醜すぎて、トランジションできないんじゃないかと心配」というのは、かなりよくある不安です。「家族に縁を切られる/パートナーに去られるんじゃないかと心配」というのも、よく耳にする悩みです。ほかの女の子たちは、自分のキャリアや学業、大学の状況をひどく心配しています。多くは、ホルモン療法(HRT)やトランス関連の手術の医療費を、とても払えないのではないかと恐れています。
誰もが——誰もが——自分には社会的なトランジションに対処するだけの強さがあるのだろうかと疑います。友人へのカミングアウト、女性の服を着ること、トランス嫌悪への対処……それは、ぞっとするほど厄介なものです。とりわけ、ただでさえ自分には立ち直る力(レジリエンス)が乏しいと感じていることの多い、クローゼットにいるトランス女性にとっては。そのすべてが、慢性的に手に負えないものに思えてしまうのです。
こうした不安は、しばしば自分自身に対するゲートキーピングというかたちで現れます。「自分はかわいい女の子には絶対なれないんじゃないかと不安だ」が、「トランジションしてもかわいくなれなかったらどうしよう。だから自分はトランスのはずがない」に変わっていくのです。何もない真空のなかで見ればこれはいくらか馬鹿げて見えますが、自己受容前のトランスの女の子は、自分はほんとうはトランスではないと自分に思い込ませるためなら、ときに文字どおり何でもしようとします。わたし自身、毎日ホルモン療法(HRT)を受けて女性の服を着るなんて、とても想像できなかったから、自分はトランスではないと固く思っていました。それは勇気ある人がすることであって、わたしのような人間がすることではない。だからわたしはトランスではありえない、と!
なぜわたしたちは自分にこんなことをするのでしょう? わたしはそれがすべて自己防衛のためだと思っています。わたしたちは、トランジションがとてつもなく難しいことを知っているので、「自分はトランスなのか?」という問いに向き合いはじめる気にすらなる前に、文字どおり世界中のほかのあらゆることを試そうとするのです。わたしたちは、真実に強く抗うとても強力な自己防衛の声を育てます。そうすれば、その次に来るものへの恐怖におびえずにすむからです。
でも、ここで大事なことがあります。たとえあなたがトランスだったとしても、それについて実際に何かをしなければならないわけではありません。わたしはトランジションを強くおすすめしますが、自己受容したうえで、ただ……何もしない、ということも間違いなく可能です。名前も、代名詞も、いまの暮らしも、そのままにしておけます。あるいは、いくつかのことだけ変えて、できるところで性別高揚感(ジェンダー・ユーフォリア)の小さなときめきを味わうこともできます。
覚えておいてほしい大切なことは、あなたのアイデンティティの真実は、トランジションについてあなたが抱くすべての希望や不安とは別ものだ、ということです。もしあなたが内側で女の子なら、見た目がどうであろうと関係ありません。家族があなたをどう思おうと関係ありません。医療的にトランジションする手段があるかどうか、あるいはそうしたい気持ちがあるかどうかさえ、関係ありません。アイデンティティは、こうしたすべてとは別の、心と魂のことなのです。もしあなたが女の子なら、あなたは女の子です。
だから、そこから始めてください。それについて何をするかにかかわらず、あなたが何で「ある」のかを見つけてください。
こうしたことで行き詰まっている、疑問を抱くトランス女性と話すとき、わたしはいつも、こうした社会的な要素をできるかぎり脇に置こうとします。たとえば、こんな仮定の質問をするのです。
あなたは、自分のジェンダーを永久に入れ替えてくれる魔法のボタンを渡されたとします。年齢も、体力も、魅力も、いまのあなたと同等の「反対のジェンダー」の体になれるのです。もしそのボタンを押せば、人生で関わるすべての人が、あなたのことを最初から女の子として知っていたことになります。みんなすぐにあなたを受け入れます。あなたはパートナーも、仕事も、家族も失いません。さあ、押しますか?
ちなみに、シスの人なら、このボタンを押すことを考えすらしないでしょう。もしあなたが、心の奥では自分なら押すと分かっているのに、それでもトランスとして自分を受け入れるのが怖いのなら、あなたを引っかからせているものは、おそらくあなたのほんとうのアイデンティティよりも、トランジションへの恐怖と関係があるのです。
それが「ただのフェティッシュ」であることは、めったにない、ということを考えてみてください
わたしを含めて、どれほど多くのトランスの人が、性的な空想の領域で自分のジェンダーの感覚を探りはじめたか、言葉では言い尽くせません。
これにはさまざまな現れ方があります。パートナーとのジェンダー・プレイ、変身ものの絵を楽しむこと、女の子に変えられる男の子の物語を読むこと、あるいはオンラインのフォーラムやメッセージアプリでパートナーとジェンダー変身の空想をロールプレイすること。こうしたものは世の中にたくさんあって、それを楽しんでいる人の多くは、かつてのわたしのような、クローゼットにいるトランス女性なのです。
考えてみれば、これはとても腑に落ちることです。セックスは、アイデンティティについてのより大きな問いに向き合わずにジェンダーを探ることのできる、数少ない人間の経験の領域の一つです。この二つを、何年も何年も何年も、頭のなかで切り離しておくことは十分に可能です。あなたはただ、ときどき女性に変えられる空想をするのが好きな男なだけ。それはトランスだという意味ではない!
残念ながら、こうしたやり方でジェンダーを探ることは、多くのトランス女性にとって、かえって自己受容を難しくしてしまうことがあります。わたし自身、自己受容前の時期にはこの種の性的な探求がどうしても必要だと感じていましたが、同時にそれは、頭にしつこく浮かぶジェンダーの思考や空想を「ただのフェティッシュ」として片づけることを可能にしてしまいました。わたしはそれらを、さらに探究すべき何かではなく、隠すべき恥ずかしい何かとして扱っていたのです。
この問題は、「自己女性化愛好症(オートガイネフィリア)」という用語によって、さらにややこしくなっています。これは、レイ・ブランチャード(Ray Blanchard)という山師まがいの心理学者が唱えた、でたらめでトランス嫌悪的な「理論」です。オートガイネフィリアは、自分をトランス女性と認識する多くの人は実際にはまったく女性ではなく、むしろ女性であることやヴァギナを持つことに興奮する「気味の悪い男」にすぎないのだ、と主張します。ブランチャードによれば、彼女たちのトランジション全体が、世界を巻き込んで無理やり付き合わせている手の込んだフェティッシュ・ゲームにすぎない、というのです。
ここではっきりさせておきたいのですが、オートガイネフィリアはでたらめです。これは本物の科学者や研究者たちによって、何度も何度も信用を失墜させられています。わたしの見るかぎり、この理論の目的そのものは、シスの人にトランス女性を男性の性的捕食者として見るよう仕向けることでした。ありがたいことに、ほとんどのシスの人はそうは感じていませんし、その多くはブランチャードやオートガイネフィリアのことなど、まったく聞いたこともありません。
残念ながら、クローゼットにいる多くのトランス女性は、疑問を抱いているときにこうしたものに出くわして、「あれ、自分はただのオートガイネフィリアなのかな? もしかしたら、ほんとうはトランスじゃないのかも」と考えてしまいます。これは、性的な空間で自分のジェンダーの感覚を表現することに多くの時間を費やしてきたトランス女性、とりわけ女性になるという考えに性的に興奮を覚える人にとっては、なおさらそうなのです。
この興奮の感覚は、はるかに長いこの文章のこの小さな一節で完全に解きほぐすにはあまりにも込み入っていますが、一つ言えるのは、この感覚は初期にはほんとうによくあるもので、トランジションが進むにつれて薄れていく傾向があるということです。その一部は、性別高揚感を性的興奮と十分に長く結びつけていると、一方がもう一方として部分的に表れるようになるという事実と関係しています。また一部は、自分のほんとうのジェンダーとして見られること、あるいは自分のほんとうのジェンダーとして性的な快感を経験することが、めちゃくちゃ最高に気持ちいいという事実とも関係しています。いずれにせよ、あなたの感情が純粋な性的興奮よりも深いところまで及んでいるのなら、それは「ただのフェティッシュ」ではないのです。
トランスのアイデンティティという広い傘について考えてみてください
公にクィアである人たちのいるコミュニティで多くの時間を過ごしたことがないのなら、自分のジェンダーを経験し、また表現するやり方が、いったいどれほどたくさんあるのかを、まだ十分に身に染みて理解していないかもしれません。
世の中はまるで、「男」の箱と「女」の箱とが、あいだに何もない巨大な深淵を挟んだ、まったく別々のものであるかのように思わせてきます。でも、それはほんとうではありません。ジェンダーを表現するやり方は、その箱の内側にも外側にも、ほぼ無限にあって、あなたのジェンダーは、その定義されていない空間のどこかにあるのかもしれません。わたしはかなりバイナリー寄りのトランス女性で、女の子の箱の中にいるのが好きですが、わたしのジェンダーの捉え方や、それをどう表現するかは、同じく女の子の箱の中にいるほかの人たちとは、まるっきり違うこともよくあります。
トランスであることに、正しいやり方はありません。プレゼンテーション(外見の表現)は変えても、代名詞は変えないトランスの人もいます。名前と代名詞は変えても、プレゼンテーションは変えないトランスの人もいます。内側で自分が誰なのかさえ分かっていれば、出生時に割り当てられた性別として生きることに問題のないトランスの人もいます。
多くのトランスの人は、性別適合手術やホルモンを選びません。多くのトランスの人は、その場その場でどう見られたいかに応じて、別の名前や別の代名詞を使い分けます。多くのトランスの人は、ただシスノーマティビティから少しだけずれたジェンダーとの関係を築き、そこに自分の旗を立てて、それでよしとするのです。
多くのトランスの人は、あるやり方でトランジションを始めて、最終的に、自分のアイデンティティは、その過程が始まったときにはまったく見えてさえいなかった何かに、もっとよく合っているのだと気づきます。
これらすべてが正当です。そして、こうしたことをここに全部含めたわたしの目的は、プレッシャーを取り除くことです。自己受容には、不可能な期待の数々がまるごと付いてくるように感じてしまうと、自分をトランスとして受け入れるのは、いっそう難しくなります。実のところ、トランスであることの大きな喜びの一つは、ジェンダーに「できること」「できないこと」をめぐる、こうした狭い考えのすべてから、自分が実は自由なのだと気づくことなのです。
あなたが自分のジェンダーについて何を決めるにせよ、大切なのは、自分自身に正直であることです。陳腐に聞こえるかもしれませんが、ジェンダーやジェンダーのプレゼンテーションに関して、何が自分に喜びをもたらし、何がもたらさないのかについて正直でいることを、自分に許してあげること。それは、明確にラディカルな行為になりうるのです。この旅は、あなたを、出生時に割り当てられた性別でのいっそうの心地よさへと導くかもしれませんし、何らかのノンバイナリーやジェンダーフルイドのアイデンティティへと導くかもしれません。あるいは、こちら側の女の子の箱に来て、わたしの仲間になるかもしれません(カップケーキがありますよ!)。
何を選ぶにせよ、それが、自分がもっと自分らしくいられる助けになるから、という理由でやってください。
トランジションとは、ただ一つの形而上学的な真実を発見することよりも、自分を幸せにすることをするものだ、ということを考えてみてください
疑問を抱くトランス女性と話していてよく出くわす行き詰まりの一つは、恐怖で自分を麻痺させてしまい、自分の中心にある方程式を解いて、自分は疑いの余地なく100%トランスだと完全に、まるごと受け入れるまで、行動しようとしないということです。
残念ながら、これはほとんど不可能なことです。とりわけ、自分のジェンダーを肯定する方向へ何の行動も起こす前には。トランス性を確認できる血液検査も脳スキャンもないので、あなたが疑問の余地のない証拠を得ることは決してありません。自己受容から数週間、数ヶ月たった女の子たちから、「ねえ、わたし今日、実は男として過ごして、いい一日だったの。これって、わたしが実はトランスじゃないってことかな?」というようなメッセージをどれほど受け取ってきたか、言葉では言い尽くせません。
(お答えしましょう。いいえ! わたしも「ボーイモード」でいい日をたくさん過ごしてきました。それでもわたしは女の子です。)
そういうわけで、覚えておく価値があるのは、あなたは解かれるべきパズルではないということです。あなたは、自分自身のジェンダーの正確な分類学的な位置づけを行わなければならないわけではありません。あなたはただ、自分なりの込み入ったニーズ、欲求、夢、目標、恐怖、トリガー、そしてそのほかありとあらゆるものを抱えた、一人の人間なのです。あなたは、計り知れない多様さを内に宿した、矛盾に満ちて、複雑で、論理では割り切れない存在なのです。
これはいくらか怖いことですが、同時にいくらか解放的でもあってくれたら、と願います。あなたのトランジションに「正しい」タイムラインはありません。絶対にやらなければならないことのリストもありません。名前はそのままでもいいし、変えてもいい。性別適合手術を受けてもいいし、いまのままを保ってもいい。毎日ワンピースを着てもいいし、そんなものは全部わたしに残していってくれてもかまいません。物心ついて服を買えるようになったころからずっと女性のような格好をしてきたトランス女性もいますが、わたしはホルモン療法(HRT)を始めて三ヶ月たつまで、一度も本格的にフェムな装いをしたことがありませんでした。ルールなんてありません。それらはすべて、何百年も前に死んだ人たちがでっち上げたものなのです。
それに、いますぐ何かに身を捧げなければならないわけでもありません。トランジションは、深淵への巨大なひと跳びではなく、自ら望んで踏み出す小さな一歩の積み重ねです。最初のころのステップはどれも簡単に元に戻せますし、自分の人生をよりよくする助けになると思えないことを、あなたが何かしなければならないことは決してありません。足元から目を離さずにいれば、気づかないうちに谷を渡り終えているはずです。
わたしは、自分のジェンダーに疑問を抱いている人には、頭の中に閉じこもって一日じゅう、もっと証拠が現れるのを待っているのではなく、何か一つか二つ、小さなことを選んで試してみることをおすすめしています。腕や脚、胸の毛を剃ってみる。ネイルポリッシュを手に入れてみる。女性ものの服を一着買ってみる。SNSで女性の名前と she/her の代名詞を使う「裏」アカウントを作って、女の子としてデジタルの世界と関わってみる。信頼できる友人を一人か二人選んで、自分のジェンダーに疑問を抱いていると伝え、二人きりのときに別の名前や代名詞で呼んでもらって、どう感じるか試してみる。エストロゲンを摂取すると自分の心がどう働くのか確かめてみたいなら、ホルモン療法(HRT)の最初の数ヶ月でさえ簡単に元に戻せます。
こうしたステップのいくつかは、おそらくあなたを圧倒してしまうでしょう——いえ、それらについて考えるだけで圧倒されてしまうかもしれません——けれど、その過程のどこかで、あなたは絶対的な至福のときめきを何度か感じることもあるかもしれません。「あ、あ、ああ、わたしこれ好き、これ気持ちいい!!」という、小さな瞬間を。
それが性別高揚感です。そしてそれは、あなたが正しい方向へ進んでいるしるしなのです。もしあなたがその感覚に、それがどこへ連れて行こうと、ついていくのなら、それがとてもたくさんの幸せと喜びへとつながっていくことを、わたしは保証します。
性別違和はどのように診断されるの?
このセクションでは、アメリカ精神医学会(APA)の『精神疾患の診断・統計マニュアル 第5版』(DSM-5)における診断基準を中心に見ていきます。なぜこの基準を取り上げるかというと、要するに、ほかに基準らしい基準が存在しないからです。イギリスの国民保健サービス(NHS)も、基本的には APA の DSM をなぞっています。ほかの国にもそれぞれ独自の基準はありますが、どれも DSM とよく似ているか、もっと時代遅れなものばかりなのです。
訳注:この章は主にアメリカの DSM-5 にもとづいています。日本では、診断や法的な性別の取り扱いの枠組みが異なります。長く「性同一性障害」という診断名が使われ、戸籍上の性別変更については「性同一性障害特例法」が定められてきました。国際的には ICD-11 で「性別不合(gender incongruence)」へと位置づけが見直されています。実際の診断基準や手続きは時期や医療機関によっても変わるため、最新の情報は日本の専門医や信頼できる窓口で確認してください。
WPATH のケア基準(SOC)は、性別違和がどのように現れるかを説明してはいますが、明確な診断基準を定めてはおらず、診断そのものは個々のメンタルヘルスの専門家の判断に委ねられています。一般的に ケア基準(SOC) が推奨しているのは、心身が健全な状態にある人が「自分には性別違和がある」と言うのであれば、その言葉を信じるべきだ、という姿勢です。ここで鍵になるのが「心身が健全な状態」という部分で、患者にそう思い込ませている可能性のある他の要因がないかを慎重に見きわめる責任は、メンタルヘルスの専門家に委ねられています。
もっとはっきり言ってしまえば、WPATH は「自分はトランスだと思うなら、あなたはトランスだ」と言っているのです。これは、コミュニティの大多数が受け入れてきた姿勢でもあります。自分のジェンダーが出生時に割り当てられた性別と一致しないと感じているなら、あなたはトランスジェンダーなのです。とはいえ、保険会社は自己診断をあまり快く思いません。そこで、DSM-5 で定義されている、性別違和の診断基準を以下に挙げておきます。
ご参考までに
思春期前の子どもに性別違和の診断を下すには、以下の基準のうち6つ(うち1つは必ず基準1であること)を満たす状態が6か月以上続いていたという記録と、社会生活・学校生活・その他の重要な機能における苦痛や支障が認められることが必要です。
- もう一方のジェンダーになりたいという強い欲求、あるいは自分はもう一方のジェンダー(または指定性別とは異なる別のジェンダー)であるという強い主張。
- もう一方のジェンダーに典型的とされる服装を好んで身につけること。
- ごっこ遊びや空想遊びの中で、反対のジェンダーの役割を強く好むこと。
- もう一方のジェンダーが使う、あるいは行うものとしてステレオタイプ的にみなされている玩具・遊び・活動を強く好むこと。
- もう一方のジェンダーの遊び相手を強く好むこと。
- 自分の指定性別に典型的とされる玩具・遊び・活動を強く拒むこと。
- 自分の性的な身体構造を強く嫌うこと。
- 自分が実感しているジェンダーと一致する身体的性徴を強く望むこと。
注 これは子ども向けの基準です。青年および成人には別の基準が用いられます。どちらの基準もこちらで確認できます。なお、公式の基準は性別二元論を前提とした書き方になっているため、ここでは表現を少しだけ変えてあります。
成人が、資格を持つメンタルヘルスの専門家から性別違和の診断を受けるには、次の6つの基準のうち2つを満たし、かつその状態を6か月以上経験している必要があります。
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自分が実感している/表現しているジェンダーと、第一次性徴および/または第二次性徴との間に、はっきりとした不一致があること
その人が世界をどう見て、世界とどう関わっているかが、出生時に割り当てられた性別の人に一般的に期待される在り方と一致しない、ということです。この説明に当てはまる特徴は実にさまざまです。他者とのやり取りの仕方、話し方、好む趣味、服装、しぐさや立ち居振る舞い、どのジェンダーにより親しみを感じるか——そういったあらゆるものに表れます。
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自分の第一次性徴および/または第二次性徴を取り除きたいという強い欲求
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別のジェンダーの第一次性徴および/または第二次性徴を得たいという強い欲求
この2つは、いわばセットになっています。これは先に定義した身体的違和にあたります。出生時の性によって生じた身体の特徴に、不快感を覚えるということです。
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別のジェンダーになりたいという強い欲求
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別のジェンダーとして扱われたいという強い欲求
これは対人的違和と社会的違和にあたります。自分が世界とどう関わりたいか、そして世界に自分とどう関わってほしいか、という願いです。
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自分は別のジェンダーに典型的な感情や反応を持っている、という強い確信
これは、ほぼ説明の必要がないでしょう。
先ほども述べたとおり、正式な診断には、これらの条件のうち2つを満たせば十分です。お気づきかもしれませんが、このうち身体に関わるものは2つだけです。トランスの人が、自分の身体のどの部分も嫌っていなくても、どこも変えたいと思っていなくても、性別違和を経験しているということは、まったくもって妥当なことなのです。身体的違和は、トランスであることにつながる数多くの要素の、ほんの一部にすぎません。
さて、ここが肝心なところです。あなたがトランスジェンダーであると自認しているなら——つまり、自分のジェンダーが出生時に割り当てられた二元的な性別と一致しないと感じているなら——あなたはすでにこのうち2つの基準を満たしているのです! あなたには、自分は別のジェンダーであると自認するほど強い「別のジェンダーになりたいという欲求」があり、しかも自分のジェンダーがどう感じられるかについての強い確信があって、それは出生時に与えられたものとは違うのですから。
ですから、トランスだと自認していながら性別違和を経験していない、などということは、文字どおりありえないのです。WPATH の要件では、誰もが自分をトランスだと自認できます。だとすれば、「トランスジェンダーであるために性別違和を持っている必要はない」という言葉は、論理的な矛盾だということになります。
では、なぜ私たちは今もそう言い続けているのでしょうか。それは、ほとんどの人が性別違和とは実際どういうものなのかを知らず、性別違和の現れ方の微妙さや奥行きを説明するよりも、決まり文句を繰り返すほうが簡単だからです。でも、ほら、これであなたの手元には、それを人に理解してもらうためにリンクを共有できる、すてきな記事ができたというわけです。# 性別違和はどう治療されるのでしょうか?
治療の選択肢は、その人それぞれのニーズによって大きく異なります。性別移行(トランジション)のかたちは一つひとつがまったく違うもので、移行に「正しいやり方」があるわけではありません。このセクションでは、考えられる道筋をいくつか挙げていきます。
社会的移行
ひと言で言えば、クローゼットから出る(カミングアウトする)ことです。これは要するに、自分がトランスジェンダーであることを世界に向けて表明することを指します。新しい名前や新しい代名詞を使いたいと知らせることもあれば、そうしないこともあります。ただ、自分がトランスであり、割り当てられた二元的なジェンダーには実のところ自認していないのだ、と周りに知ってもらいたいだけ、というかたちでもかまいません。ノンバイナリーの人の中には、これが必ずしも割り当てからの完全な一歩にはならない場合もあります。というのも、ジェンダーはスペクトラム(連続体)であり、「ノンバイナリーの男性」や「ノンバイナリーの女性」といったあり方も存在するからです。
社会的移行とは、クローゼットから出るという行為であり、自分を押し殺すことから来る大きなストレスをやわらげてくれます。
法的移行
これは、自分の本当のジェンダーを反映するように法的書類を変更していくプロセスです。裁判所による法的な名前やジェンダーの変更を通じて行われることもあれば、公的な身分証明書の性別欄(ジェンダー・マーカー)の変更を通じて、あるいは出生証明書や婚姻証明書の再発行を通じて行われることもあります。
表現的移行
これは、自分の装い方を変えることです。服装であれ、髪型であれ、メイクの使用であれ、私たちの社会はこうしたものすべてを強くジェンダーで色分けしています。表現を切り替えることは、自分自身を肯定すると同時に、自分がどう扱われたいかを周囲の人々に伝える合図にもなります。
医療的移行
大人の場合、これはホルモン療法(HRT)と手術を指します。思春期の若者の場合は、その子がどちらの性腺ホルモンを取り入れたいか確信を持てる年齢になるまで、思春期ブロッカーを使うことが多くなります。思春期前の子どもの場合は、何もしません。トランス嫌悪の人たちがいつまでも誤解し続けているので、もう一度くり返します。
思春期前の子どもは、医療的な移行を行いません。
アメリカ小児科学会はトランスジェンダーの若者を肯定し受け入れること、そしてそれ以外のあらゆる形の移行を可能にすることを強く推奨していますが、子どもがタナー段階2に達するまでは、医師がホルモン療法(HRT)も思春期ブロッカーも始めることをはっきりと支持していません。
さらに、アメリカではどの外科医も、未成年者に対してジェンダーを変える手術を行いません(インターセックスの「矯正」手術は除きます。これはまったく別の問題であり、この記事の範囲を超えています)。表現による手がかりなしに男性または女性として読み取れるほど、特徴がはっきりしている子どもはごくわずかです。子どもが男の子または女の子として見られるためには、髪型や服装を変えることを認めるだけで十分なのです。
ホルモンによる移行
男性化ホルモン療法(HRT)(女性から男性への性的特徴)は、テストステロンを取り入れることから成り、通常は筋肉注射または外用ジェル(塗り薬)によって行われます。性腺ホルモンの総量が増えると、たいていは排卵が止まります。排卵は、卵巣で作られるエストロゲンの大半が生み出される源です。
女性化ホルモン療法(HRT)(男性から女性への性的特徴)は、エストロゲン(多くの場合エストラジオール)を取り入れることから成り、通常は経口の錠剤、パッチ、または定期的な注射(筋肉注射または皮下注射)によって行われます。薬をゆっくり放出するインプラント(埋め込み剤)の使用も、ますます一般的になってきています。また、テストステロンの産生や吸収を抑えるために抗アンドロゲン薬を併せて処方するのも、よく行われる方法です。アメリカでは、通常スピロノラクトンが使われます。これは血圧の薬で、テストステロンを抑える副作用を持っています。アメリカ国外で最もよく使われる薬は酢酸シプロテロンというアンドロゲン受容体を遮断する薬ですが、これはアメリカでは入手できません。医師は、同じくアンドロゲン受容体を遮断するビカルタミドを処方することもあります。ただ、一部の医師は、体にテストステロンの産生を止めさせるために、単純により多くのエストラジオールを使うという選択をすることもあります。
思春期の若者の場合、思春期ブロッカーには上記のアンドロゲン遮断薬が用いられることもあれば、(保険でカバーされる場合には)酢酸リュープロレリン(数か月ごとに打つ注射)や酢酸ヒストレリン(年に一度のインプラント)のような抗ゴナドトロピン薬(エストロゲンやアンドロゲンの産生を引き起こすホルモンを遮断する薬)が使われることもあります。
外科的移行
性別適合手術(性別を変えるための手術)は、通常、三つの別々のカテゴリーに分けられます。
ボトムサージェリー(性器への手術):
-
女性化:
- 精巣摘出術(精巣の除去)
- 陰嚢切除術(精巣摘出後に陰嚢の組織を除去すること)
- 精管切除術(精子の通り道である精管を除去すること。精巣摘出術の際に行われるが、それ以前に単独で行うこともできる)
- 造腟術(腟腔をつくること)
- 外陰形成術(深さを伴う場合も伴わない場合もある、外陰部をつくる手術)。
ご参考までに
ボトムサージェリーで新しく発展しつつある分野に、出生時に男性と割り当てられた(AMAB)のノンバイナリーの人を対象とした手術があります。これは、陰茎を除去せずに造腟術を行おうとするものです。この手術は非常に実験的で、アメリカではこれまで十数件にも満たないほどしか行われていませんが、今後の見通しは明るいものです。
ノンバイナリーのボトムサージェリーのもう一つの選択肢として、性器無効化手術があります。これは外性器を完全に除去し、尿道口だけを残すことを目指す手術です。
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男性化:
- 子宮摘出術(子宮と子宮頸部の除去)
- 卵巣摘出術(片側または両側の卵巣の除去)
- 卵管切除術(片側または両側の卵管の除去。子宮摘出術や卵巣摘出術と併せて行われることが多い)
- 腟摘出術(腟腔の除去)
- メトイディオプラスティ(ホルモン療法(HRT)後に大きくなったクリトリスを陰茎にする手術)
- 陰茎形成術(皮膚移植によって陰茎をつくること)
- 尿道形成術(尿道の管を陰茎の中を通すように延長すること)
- 陰嚢形成術(大陰唇と人工の精巣を用いて陰嚢をつくること)。
陰茎形成術には、必ずしも事前のホルモン療法(HRT)が必要なわけではありません。腟摘出術、尿道形成術、陰茎形成術を同時に行うのが一般的ですが、陰茎をつくるうえで、尿道形成術と腟摘出術は厳密には必須ではありません。ただし、新しい尿道をつくるには通常、腟の組織が用いられるため、外科医によっては腟摘出術なしには尿道形成術を行わないこともあります。
トップサージェリー(胸部への手術)
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女性化:
- 脂肪移植またはインプラント(豊胸用の埋め込み剤)による豊胸。
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男性化:
- 両側乳房切除術(乳房組織の除去)と胸部の再建
- 乳房縮小(一部の脂肪と乳房組織の除去)
トップサージェリーのための乳房切除術では、通常、乳首をより男性的な形に整え直しますが、乳首を完全に取り除くことを選ぶ人もいます。
顔の女性化/男性化手術(顔の頭蓋骨、軟骨、皮膚への手術)。
若い人ほど、こうした手術は必要なくなります。とくに20歳になる前に医療的な移行をした場合はなおさらです。
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女性化:
- 額の輪郭形成
- 眼窩の輪郭形成
- 眉のリフト
- 生え際の補正
- 眼瞼形成術(目の下のたるみのリフト)
- 鼻形成術(鼻の形を整え直すこと)
- 頬のインプラント
- リップリフト
- 唇へのフィラー注入
- 顎の輪郭形成
- 喉仏の削り(喉仏を小さくすること)
- 皺取り術(フェイスリフト)
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男性化:
- 額の増大術
- 顎の増大術
- 顎先の増大術
- 喉仏の増大術(喉仏を大きくすること)
その他のトランスフェミニン向けの手術:
- ブラジリアン・バット・リフト: お腹の脂肪を臀部に移植し、ヒップとウエストの比率を高める手術。
- 声の女性化手術: 声の高さを永久的に上げるために、声帯に切開を行う手術。
- シンデレラ手術: 足のサイズを小さくするために、足の骨を短くする手術。きわめてリスクが高い。
- 肩幅縮小術: 肩の幅を狭くするために、鎖骨を短くする手術。きわめてリスクが高い。
性別違和の原因とは?
率直に言ってしまえば、まだはっきりとはわかっていません。それでも科学と現代の心理学が証明したのは、これが育ち(生まれた後の環境)によって生じるものではないということです。誰かが何かのきっかけでトランスジェンダーになるわけではありません。性自認(ジェンダー・アイデンティティ)は生まれつきのもので、私たちが母体から外に出る前にはすでに定まっています。また、ときには遺伝することもあるようです。トランスジェンダーの親はトランスジェンダーの子どもをもつ確率が高く、しかも逆の順序でそれに気づくことも少なくありません。子どもが親にカミングアウトし、それがきっかけで親自身も「自分もカミングアウトしていいんだ」と気づく、というように。
ここで紹介するのは、性自認に影響を与えていると考えられている科学的な知見です。とはいえ、これらが性自認を決定づけるという意味ではありませんし、ある人のジェンダーをまるごと言い表しているわけでもありません。ジェンダーには文化的・社会的な側面がとても多くあるからです。ここに挙げることのどれも、ある人のアイデンティティを決めつけるものではなく、また何ひとつとして石に刻まれた不変の真理ではありません。
『ジュラシック・パーク』をご覧になったことがあるなら、こんな場面を覚えているかもしれません。
ヒトの胎児の生殖腺は、最初は二方向性(バイポテンシャル)の状態で発達します。つまり、卵巣にも精巣にもなりうるということです。Y染色体上のSRY遺伝子は、精巣決定因子(TDF)と呼ばれるタンパク質を放出します。このタンパク質がSOX9(これも別のタンパク質)の産生という連鎖反応を引き起こし、それによって生殖腺の細胞は、精巣を構成するセルトリ細胞とライディッヒ細胞へと形づくられていきます。もしTDFが産生されなかったり、その働きが妨げられたりすると、生殖腺の細胞は、卵巣を構成する莢膜(きょうまく)細胞と卵胞へと形づくられます。
精巣がいったん形成されると、今度はテストステロンが急激に分泌され始めます。これはふつう妊娠8週目に始まり、24週目まで続きます。この急増は、胎盤から分泌されるもう一つのホルモンと組み合わさって、陰茎と陰嚢の発達を担います。性器の形成は9週目あたりに始まり、11週目までには見分けがつくようになります。もしこの急増が起こらなかったり、身体がそれに反応しなかったりすると(アンドロゲン不応症などの場合がそうです)、性器は代わりに外陰部、膣、子宮へと形づくられます。
この過程に何らかの妨げが生じると、「想定とは違うパーツ」を持って生まれてくることがあります。これは、多くのインターセックスの状態が生じる仕組みでもあります。多くの場合これは部分的な発達で、外性器が部分的にしか形成されない一方で、機能する生殖腺は依然として存在しています。完全に機能する男性または女性の性器を持って生まれてきても、生殖腺がそれと一致していないこともあります。また、TDFタンパク質が放出されず、Y染色体を持っているにもかかわらず、胎児が完全に機能する女性の生殖器官をそなえて成長することもあります。
これはスワイヤー症候群として知られていて、どれだけの数の女性がこの状態にあるのかはわかっていません。2015年には、卵巣を持たずに生まれたスワイヤー症候群のXY女性が、体外受精(IVF)によって子どもを無事に妊娠・出産しました。スワイヤー症候群ではふつう卵巣がまったく機能しなくなるのですが、2008年には、思春期を迎え、正常に月経があり、補助なしで二度の妊娠をしたスワイヤー症候群の女性が見つかっています。彼女の状態は、娘もまた同じ状態を持っていることが判明するまで、気づかれずにいました。
実のところ、人口の大多数は遺伝的な核型(カリオタイプ)の検査を一度も受けたことがありません。ですから、こうしたケースが実際どれくらいありふれているのかは、私たちにはわからないのです。では、これは性自認とどう関わってくるのでしょうか。じつは、外性器を分化させるのとまったく同じ過程が、脳においても起こっているのです。
脳の分化
胎児の脳は、12週目から24週目あたりまでは本格的に発達し始めません。大脳皮質——私たちが意識と呼ぶもののほとんどを担う、脳の薄い外側の層——は、この時期に大きく成長します。それ以前に存在している構造は、どちらかといえば足場のようなもので、身体を機能させるのに必要な神経系の基本的な部分です。一次脳溝(大脳皮質のしわで、表面積を増やす役割を持ちます)が形成され始めるのは14週目で、性器が発達するよりずっと後のことです。
MRIを用いた研究によって、シス男性とシス女性の脳のあいだには小さいながらも有意な違いがあることが何度も確認されています。しかも、その違いは、研究に参加したトランスの人々の性自認と一致していました。ここで気をつけてほしいのは、こうした違いを持つ人なら誰もがそのジェンダーになる、という意味ではないということです。性自認はそれほど単純なものではありません。それでもこの研究は、男性的な脳と女性的な脳には明らかな違いがあるという証拠を与えてくれます。さらに、脳がこうした違いをモザイク状に組み合わせて持ちうるという証拠もあり、これはノンバイナリーの人々に当てはまるのかもしれません。
11週目以降に胎児のテストステロン値が変化すると、大脳皮質の男性化に直接影響しうるほか、脳の他の構造の変化にもつながります。このことは、CAH(先天性副腎過形成症)やCAIS(完全型アンドロゲン不応症)を持つ、女性と割り当てられた子どもたちを対象とした研究で何度も繰り返し検証されてきました。
私たちは、胎児期のテストステロンと、性別によって分化した遊び行動とのあいだに、女児においても男児においても有意な関連があることを見いだした。
— 胎児期のテストステロンは女児・男児における性的に分化した子ども期の行動を予測する
妊娠中期(第2トリメスター)に母体内のテストステロンが過剰になると、外見上は女性である胎児の脳が男性化することがあります(そして実際に起こります)。逆に、テストステロンの産生や取り込みが妨げられると、外見上は男性である胎児の脳が女性化することがあります(これも実際に起こります)。しかも、こうした妨げは必ずしも外的な原因によるものとは限りません。さまざまな遺伝的特性が、脳をテストステロンに対して異なる反応をさせることがあるのです。
2018年に発表された、トランスジェンダーの人々を対象とした比較的大規模な研究では、トランス女性のあいだで統計的に長くなりやすいいくつかの重要な遺伝子が見つかりました(ここでの「長い」とは、繰り返される断片がより多い、という意味です)。個々の遺伝子だけでは男性化を狂わせるほど強い影響は持たないかもしれませんが、それらがまとまって働けば、胎児の脳が男性化する力を確かに弱めうるのです。これらの遺伝子はすべて親から子へと受け継がれるもので、トランスの親がトランスの子どもをもちやすいという傾向を裏づけています。
ジェンダーは生物学的なもの
悲しいことに、西洋社会はジェンダーへのより深い理解を積極的に阻んできました。古代の文明はそれをよく理解していましたが、植民地主義がそれらを地図から消し去ってしまいました。100年前、ドイツの科学者たちはトランスジェンダー医療を活発に研究し、目覚ましい進歩を遂げていましたが、1933年にナチスがそのすべてを焼き払いました。現代でも、保守やファシズムからの圧力が、機会さえあればトランスジェンダーの医療の進歩を妨げ続けています。
それでも、進歩は続いています。そして数年ごとに、私たちは少しずつ多くのことを知るようになっています。
確実に言えるのは、これは心理的な疾患ではないということです。トラウマや何らかの外的な影響によって引き起こされるものではなく、何かが人をトランスジェンダーにすることはできません。それは母体のなかで起こることであり、人種や目の色を選べないのと同じで、自分で選べるようなものではないのです。性的指向とは関係がなく、性癖やフェティシズムとも関係がなく、親や仲間からの社会的な影響とも関係がありません。トランスジェンダーの子どもたちは、シスジェンダーの子どもたちと同じくらい、自分のアイデンティティに確信を持っています。
でも染色体は!!!
選択肢は二つだけではありません
TransEthics™
#BlackTransLivesMatter @TransEthics I'm going to regret paying the co-pay for this test eventually because it was pretty pricey… but I had my karyotype done. Just got the results.
I –a trans woman– have XX chromosomes.
the GC crowd can g[REDACTED]k themselves
染色体は、XX と XY というだけにとどまらず、はるかに複雑になりうる道筋が何十通りもあります。これらは DSD(性分化疾患)と呼ばれますが、そのすべてがインターセックスの状態につながるわけではなく、多くは思春期を迎えて初めて現れます。
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ドゥ・ラ・シャペル症候群(46,XX 男性)は、精子形成の過程で、精子を提供した親由来の SRY 遺伝子が、Y 染色体を持たない精子へ乗り換えること(交差)によって生じます。その精子が卵子と結合すると、SRY 遺伝子を持つ XX の胚となり、X 染色体を二つ持ちながら表現型としては男性の子どもが生まれます。
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スワイヤー症候群(46,XY 女性)では、XY 染色体を持ちながら表現型としては女性の子どもが生まれます。これは、次のようなものを含む十数種類の異なる遺伝的条件によって起こります。
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XX 性腺形成不全は、スワイヤー症候群とよく似ていますが、XX の子どもに生じ、機能しない卵巣をもたらす点が異なります。
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ターナー症候群(45,X)では、数多くの異常を伴う、表現型としては女性の子どもが生まれます。これは、精子の側から X 染色体も Y 染色体も受け継がれてこなかったときに生じます。
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クラインフェルター症候群(47,XXY)では、より女性的な特徴を備えた、表現型としては男性の子どもが生まれます。ごくまれに、出生時に女性と割り当てられた子どもに現れることもあり、その場合は卵巣ではなく女性化した精巣をもたらします。
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48,XXXY クラインフェルター症候群は、47,XXY クラインフェルター症候群と似た結果になりますが、より深刻な健康上の問題を伴います。
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49,XXXXY クラインフェルター症候群は致死的になることが多いものの、そうならない場合には、生殖能力のない子どもが生まれることがよくあります。
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トリソミー X(47,XXX)、テトラソミー X(48,XXXX)、ペンタソミー X(49,XXXXX)は、いずれも女性の子どもをもたらしますが、X の数が増えるにつれて健康上の問題がしだいに深刻になっていきます。
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XXYY 症候群では、(SRY 遺伝子を二つ持つために)男性の子どもが生まれますが、性腺機能低下症を経験することが多く、テストステロンの補充を必要とします。それ以外の点では、一般的な男性と変わらないように見えます。
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モザイクは、胎児期にゲノムの変異が起こり、体内の一部の細胞が一組の染色体を持ち、ほかの細胞が別の組を持つことで生じます。XX/XY(二組の生殖器をもたらす)、X/XY(スワイヤー症候群やターナー症候群の軽症型)、あるいは XX/XXY(クラインフェルター症候群の軽症型)といったかたちがありえます。
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キメラは、二つの受精卵が一つの接合子へと融合することで生じ、その結果、子どもの半分は一組の DNA を、もう半分は別の組の DNA を持つことになります。これによって、男性または女性のどちらかの表現型を備えた、それ以外はまったく一般的な人として生まれ、子どもをもうけることさえできる場合もあります。けれども、体のどこから検体を採ったかによっては、核型検査の結果が本人の表現型と一致しない、ということが起こりえます。ごくまれに、二組ぶんの生殖器官をすべて備えるという結果になることもあります。
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先天性副腎過形成(CAH)は、副腎が過剰に働くために、XX の子どもの女性の生殖器が男性化するものです。
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アンドロゲン不応症(AIS)は、すべてのアンドロゲンに対する全面的または部分的な抵抗性であり、XY の子どもにおいて、精巣を除くすべての器官の男性化を妨げます。AIS の人は、ふつう女性の性自認を持つようになりますが、部分型の一部では男性の場合もあります。
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5α還元酵素欠損症(5ARD)は、体内でテストステロンをジヒドロテストステロン(DHT)へ代謝する能力の欠如であり、思春期を迎えるまで生殖器の男性化が起こらず、思春期になると突然ペニスが育ちます。
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アロマターゼ欠損症は、過剰なテストステロンによって、本来であれば女性の子どもが男性化するものです(その影響は、胎児期に母体側へ及ぶこともあります)。
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アロマターゼ過剰症は、すべてのテストステロンがエストロゲンに変換されることで、本来であれば男性の子どもが女性化するものです。
Open Ocean Exploration @RebeccaRHelm Friendly neighborhood biologist here. I see a lot of people are talking about biological sexes and gender right now. Lots of folks make biological sex sex seem really simple. Well, since it’s so simple, let’s find the biological roots, shall we? Let’s talk about sex...[a thread]
Open Ocean Exploration @RebeccaRHelm If you know a bit about biology you will probably say that biological sex is caused by chromosomes, XX and you’re female, XY and you’re male. This is “chromosomal sex” but is it “biological sex”? Well...
Open Ocean Exploration @RebeccaRHelm Turns out there is only ONE GENE on the Y chromosome that really matters to sex. It’s called the SRY gene. During human embryonic development the SRY protein turns on male-associated genes. Having an SRY gene makes you “genetically male”. But is this “biological sex”?
Open Ocean Exploration @RebeccaRHelm Sometimes that SRY gene pops off the Y chromosome and over to an X chromosome. Surprise! So now you’ve got an X with an SRY and a Y without an SRY. What does this mean?
Open Ocean Exploration @RebeccaRHelm A Y with no SRY means physically you’re female, chromosomally you’re male (XY) and genetically you’re female (no SRY). An X with an SRY means you’re physically male, chromsomally female (XX) and genetically male (SRY). But biological sex is simple! There must be another answer...
Open Ocean Exploration @RebeccaRHelm Sex-related genes ultimately turn on hormones in specifics areas on the body, and reception of those hormones by cells throughout the body. Is this the root of “biological sex”??
Open Ocean Exploration @RebeccaRHelm What does this all mean?
Open Ocean Exploration @RebeccaRHelm It means you may be genetically male or female, chromosomally male or female, hormonally male/female/non-binary, with cells that may or may not hear the male/female/non-binary call, and all this leading to a body that can be male/non-binary/female.
Open Ocean Exploration @RebeccaRHelm Biological sex is complicated. Before you discriminate against someone on the basis of “biological sex” & identity, ask yourself: have you seen YOUR chromosomes? Do you know the genes of the people you love? The hormones of the people you work with? The state of their cells?
Open Ocean Exploration @RebeccaRHelm Of course you could try appealing to the numbers. “Most people are either male or female” you say. Except that as a biologist professor I will tell you...
Open Ocean Exploration @RebeccaRHelm The reason I don’t have my students look at their own chromosome in class is because people could learn that their chromosomal sex doesn’t match their physical sex, and learning that in the middle of a 10-point assignment is JUST NOT THE TIME.
plant lesbian @alicemiriel @RebeccaRHelm As a fellow genetics lab teacher, this is the same reason my department stopped chromosome testing in lab. A really cool experiment would turn into guys getting freaked out they have XXY, etc.
でも、ほとんどの人はやっぱり XX か XY でしょ!!!
エンドセックス(endosex)(インターセックスではない)の人であっても、生物学的性は XX/XY という単純なモデルが示すよりも複雑です。たとえ典型的な 46,XX や 46,XY の染色体を持っていたとしても、体は DNA の配列そのものを変えることなく、その DNA の使い方を変えることができます。このしくみはエピジェネティクスと呼ばれます。
エピジェネティックな変化は XX と XY の染色体のあいだで異なりますが、それだけでなく、加齢に伴って性別に特有のかたちでも変わっていきます。長期にわたる性別適合ホルモン療法(HRT)は、こうした性別と年齢に特有の変化の一部を、テストステロンではより男性的に、エストロゲンではより女性的にするようです。つまり、たとえ同じ XY 染色体を持っていても、シスジェンダー男性の DNA と、エストロゲンを使っているトランス女性の DNA は同じようには使われておらず、たとえ同じ XX 染色体を持っていても、シスジェンダー女性の DNA と、テストステロンを使っているトランス男性の DNA は同じようには使われていないのです。
ホルモンの仕組み
性別違和の原因の章で説明したように、すべての人間のDNAには、男性の体と女性の体の両方をつくるための遺伝的な設計図が書き込まれています。そして、そのどちらのセットが実際に使われるかは、生殖腺(性腺)がどんなホルモンをつくり出すかによって決まります。この分化がどちらの方向へ進むかは、ひとえにSRY遺伝子を持っているかどうかで決まります。SRY遺伝子があると、妊娠6〜8週目あたりに連鎖反応が引き起こされ、卵巣ではなく精巣がつくられるのです。それ以降は、人間の体のすべての性的な特徴(第一次・第二次を問わず)が、その生殖腺のつくり出すホルモンの結果として現れていきます。
もし生殖腺がエストロゲン(主にエストラジオール)をつくれば、性器は外陰部・腟・子宮へと形づくられます。もしアンドロゲン(主にテストステロン)をつくれば、性器はペニスと陰嚢へと形づくられ、スキーン腺が下方へ移動して大きくなり、前立腺になります。分化はいったんここで止まり、9〜10年後に思春期が始まるまで再び動き出すことはありません。そして思春期が体に何をもたらすかは、私たちみんながよく知っているとおりです。
では、これはどういう仕組みで起こるのでしょうか。なぜ細胞はこのように分化するのでしょうか。それを説明する前に、まずは**受容体(レセプター)**という概念について説明しておく必要があります。
ホルモン受容体
いちばんシンプルに言うと、受容体は車の鍵式のイグニッション(始動装置)のようなものです(最近の車にもまだ鍵式のイグニッションってあるのでしょうか?)。体内のすべての細胞には、その細胞の中のさまざまな機能を起動させる一連の「鍵穴」が備わっています。これは、遺伝子配列の別の部分を起動するよう細胞に合図を送るスイッチのようなものです。それぞれの受容体は特定の化学物質しか受け付けません。ちょうど鍵穴が特定の鍵しか受け付けないのと同じです。そして、化学物質によって鍵を回す力には違いがあります。完全にエンジンをかけられるものもあれば、アクセサリーモードまでしか回せないものもあるのです。
ある化学物質が受容体にはまり込む能力は**相対的結合親和性(relational binding affinity)と呼ばれ、その化学物質が別の物質と比べてどれくらいの確率で受容体に結合するかをパーセンテージで表します。たとえば、ホルモンBがホルモンAと比べて10%の頻度でしか結合しないなら、Bは結合親和性10%であると言われます。同じように、化学物質が鍵を回す能力は*転写活性化能(transactivational ability)と呼ばれます。受容体にはまり込んでも何もしない化合物はアンタゴニスト(拮抗薬)*と呼ばれ、鍵を回せる化合物はアゴニスト(作動薬)と呼ばれます。鍵をほんの少ししか回せないものは部分アゴニスト(部分作動薬)**と呼ばれます。
アンタゴニストは、クラブのドアにいる用心棒(バウンサー)のようなものだと考えてみてください。彼らは出入口に立って、ほかの誰かが通り抜けるのを防ぎますが、自分自身はクラブの中に入りません。ほとんどのアンタゴニストは**ブロッカー(遮断薬)と呼ばれます。これは、化学反応の速度を遅くする化合物であるインヒビター(抑制剤)**や、反応の速度を速くする*アクティベーター(活性化剤)*とは別のものです。受容体において、インヒビターは受容体の能力を下げて、受容体に結合するものへの反応を弱くします。一方アクティベーターは受容体の能力を上げて、ブースターのように反応を強くします。
場合によっては、あるホルモンが、細胞内の働きを遅くしたり強めたりすることで、別のホルモンに対するインヒビターやアクティベーターとして機能することもあります。たとえば、プロゲステロンは細胞の活動を高め、細胞がエストロゲンやアンドロゲンにより強く反応するようにします。また、テストステロンはドーパミン受容体の転写活性化能を高めるので、同じ効果を得るために脳内で必要となるドーパミンの量が少なくて済みます。
ホルモンの中身
ホルモンには大きく分けて4つの種類があります。
- メラトニン(睡眠を司る)やサイロキシン(代謝を調整する)のようなアミノ酸。
- オキシトシンやインスリンのようなペプチド。これらはアミノ酸の集まりです。
- 脂質や脂肪酸からつくられ、主に免疫系に作用するエイコサノイド。
- ステロイド。さまざまな体内の臓器がつくり出す情報伝達分子で、体内の別の臓器へとメッセージを伝えます。
トランジションという観点では、この最後のカテゴリーが私たちにとって最も重要です。性ホルモンはすべてステロイドだからです。性ホルモンは大きく7つのカテゴリーに分かれます。
このうち、ホルモン療法(HRT)に関して私たちが最も気にかけるのは、最初の3つです。注意:すべての人間は、表現型(フェノタイプ)に関係なく、これらすべてのホルモンを体内にいくらか持っています。体型に影響するのは、その比率なのです。
アンドロゲン
アンドロゲンには十数種類がありますが、私たちが最も気にかけるのはテストステロンとジヒドロテストステロンです。
テストステロンは人間の体にとって主要な男性化ホルモンで、副腎・精巣・卵巣(卵巣ではすぐにエストロンやエストラジオールへと変換されます)でつくられます。筋肉と骨の細胞に成長するよう指示を出し、濃度が高くなるとより大きな筋肉量とより太い骨格構造を促します。これはつまり、テストステロンが骨の健康にとっても欠かせないということでもあります。骨格構造の中でのカルシウムの分布に影響するからです。そのため、テストステロンが著しく不足すると、骨粗鬆症やもろい骨につながることがあります。テストステロンはまた、性欲・リビドーにおいても大きな役割を果たし、大脳皮質において性的な行動を促します。
ジヒドロテストステロン(DHT)は、前立腺・皮膚・肝臓でテストステロンから変換されるもので、思春期における男性器の発達において、不規則な勃起を引き起こしたり、顔や体の毛の成長を促したりすることで大きな役割を果たします。皮肉なことに、DHTは男性型脱毛症の原因にもなります。頭頂部の毛包への血流を断ってしまうからです(ごめんなさい、トランス男性のみんな、これは諸刃の剣なんです)。DHTはテストステロンの10倍も強くアンドロゲン受容体に結合します。だからこそ、女性化トランジションにおいてはこれを取り除くことが重要になるのです。
エストロゲン
エストロゲンには4種類があります。エストラジオール、エストロン、エストリオール、そしてエステトロールです。後ろの2つは妊娠中にのみつくられ、胎児の健康にとって重要ですが、トランジションとは関係ありません。
エストラジオールは女性化ホルモンです。乳腺(乳房組織)の成長を促す主要な情報伝達ホルモンであり、太もも・ヒップ・お尻・胸・腕への脂肪の蓄積を促す一方で、腹部への脂肪の蓄積を抑えるため、より曲線的な体つきをつくり出します。エストラジオールはまた、コラーゲンの生成を増やすことを促し、その結果として、より柔らかい肌と、より柔軟な腱・靱帯をもたらします。
エストロンが体内で果たす役割は、医学研究において長らくちょっとした謎でした。というのも、エストラジオールと比べて結合親和性が著しく低く(0.6%)、転写活性化能もごくわずか(4%)だからです。このホルモンは何かをするようには見えず、ただ血流の中にとどまっているだけのように思えます。けれども、17β-HSDと呼ばれる酵素群を介して、エストラジオールとの間で相互に変換できるという独特の能力を持っています。そのため、体内で「エストロゲンのバッテリー」のように機能するのにうってつけなのです。
新しい研究では、体は総エストラジオール量を調整するために、HSD17B1を放出してエストラジオールをエストロンに変え、HSD17B2を放出してそれを元に戻しているのではないか、と示唆され始めています。ただし、これはまだごく初期段階の研究です。どちらの酵素も乳房組織でつくられており、トランス女性のように卵巣を持たないエストロゲン主体の人に見られる、周期的な月経のような症状にも関わっているのかもしれません。
ちょっとした豆知識
出生時に女性と割り当てられた(AFAB)のトランスの人は、なぜテストステロンと一緒にエストロゲンブロッカーを処方されないの?
女性の生殖器系には、エストロゲンの供給源が別々に2つあります。卵巣には、何千個もの卵胞(卵子をつくる細胞構造)が含まれています。下垂体は黄体形成ホルモン(LH)と卵胞刺激ホルモン(FSH)をつくり出し、これが卵胞を黄体細胞へと成長するよう促します。卵胞の中の莢膜細胞(きょうまくさいぼう)がテストステロンをつくり、顆粒膜細胞がアロマターゼという酵素をつくって、そのテストステロンをエストラジオールへと変換します。これがエストロゲンの1つ目の供給源ですが、最大の供給源ではありません。
注意:これが、PCOS(多嚢胞性卵巣症候群)で卵巣がテストステロンをつくり出してしまう理由です。卵巣の嚢胞がアロマターゼの生成を妨げるため、テストステロンが変換されずに残ってしまうのです。
月経周期に入って2週間ほど経つと、視床下部は下垂体に対し、周期の初めよりも3〜4倍も強いLHとFSHの急増(サージ)を起こすよう指示します。この急増によって卵胞は膨らみ続け、やがてそのうちの1つが破れて卵子を放出します。このとき、残された卵胞は黄体(おうたい)と呼ばれる構造になります。すると、この黄体はプロゲステロンと、はるかに多くのエストロゲンをつくり始め、受精卵を迎えるために子宮を整えます。これが2つ目の供給源です。
テストステロンを摂取すると、視床下部はこのLHとFSHの急増を引き起こす遺伝子を不活性化させます。そのため卵胞は成熟することがなくなり、排卵も起こらず、黄体も形成されなくなって、卵巣内のエストロゲンの大きな供給源が取り除かれるのです。
だからRedditのみなさん、これは単に「テストステロンのほうが強いから」というわけじゃないんですよ。卵巣は精巣よりずっとはるかに複雑で、その分だけ働きを乱しやすいからなんです。どうかこの俗説を広めないでくださいね。
プロゲストゲン
主要なプロゲストゲンはプロゲステロンで、体内でさまざまな役割を果たし、女性化ホルモン療法(HRT)の重要な構成要素であることがわかっています。
プロゲストゲン受容体が果たす最も大きな役割の1つは、生殖腺(卵巣と精巣)の機能の調整です。視床下部はプロゲストゲン受容体で埋め尽くされていると言ってよいほどで、その活性化に強く反応し、GnRH(性腺刺激ホルモン放出ホルモン)の産生を下げます。すると今度は、下垂体による黄体形成ホルモンの産生が減ります。
LHは、卵巣と精巣にエストロゲンとアンドロゲンをつくるよう指示するホルモンです。LHと、その兄弟分のホルモンであるFSHは、どちらも排卵において中心的な役割を果たします。排卵は、卵巣を持つ人にとってのもう1つの大きなエストロゲンの供給源です。そのため、合成プロゲストゲン(プロゲストゲン受容体にはまり込む化学物質)は、排卵を防ぐために避妊薬にしばしば含まれています。出生時に男性と割り当てられた(AMAB)の人では、プロゲストゲンはテストステロンの産生をブロックするのに役立つツールになります。
プロゲストゲン受容体で満たされているもう1つの種類の細胞が、乳腺組織です。プロゲステロンは、乳房組織の中の乳管の成長と成熟に大きな役割を果たします。プロゲステロンが乳房の発達に及ぼす影響については、正式な研究はほとんど行われていませんが、経験的には、トランスフェムのコミュニティ全体で、乳房のボリューム感を大きく改善するということが広く知られています。プロゲステロンはまた、乳房組織への血流を増やし、乳房への脂肪の蓄積を促すことも示されており、このどちらもが乳房のサイズを大きくします。
さらに、プロゲステロンはより良い睡眠を促し、心血管系の健康を改善し、ケトン体生成を増やし(中性脂肪を減らし)、代謝機能を高め、乳がんのリスクを減らすことがわかっています。
ミネラルコルチコイド
ミネラルコルチコイドはトランジションにおいて何の役割も果たしませんが、1つの重要なホルモンのために触れておく価値があります。アルドステロンです。
アルドステロンは、腎臓に対して、血流から水分を取り出すのをやめるよう指示するホルモンです。体の水分量を調整するために副腎でつくられます。なぜこれが重要なのでしょうか。
それは、トランスのホルモン療法(HRT)でとてもよく使われる薬の1つが、きわめて強力なアルドステロンのアンタゴニストだからです。スピロノラクトンです。スピロは、アルドステロンよりも強くミネラルコルチコイド受容体に結合しますが、受容体を活性化させることはありません。ただ受容体をふさいでしまい、腎臓が「水分を取り出すのをやめろ」という信号を受け取れないようにするのです。
これが、スピロを飲むとトイレがとても近くなる理由です。
アンドロゲンによる二度目の思春期 入門
男性化ホルモン療法(HRT)に何を期待できるか
これは、テストステロン(男性ホルモン)によるホルモン療法(HRT)を受けている、出生時に女性と割り当てられた(AFAB)トランスの人たちの体験談から集めた、医療的トランジションでの変化をまとめたものです。情報源はSNSやチャットルームです。そう、つまりこれはすべて個人の経験談(逸話的なもの)にすぎません。でも、トランスジェンダーの医学研究のほとんどは、これまで歴史的に逸話的なものでした——なぜなら、トランスジェンダーの医学研究に資金を出そうとする人がほとんどいなかったからです。
ここに挙げるのは、あくまで「起こりうる」変化のリストだということに注意してください。男性化ホルモン療法(HRT)を受けるすべての人が、これらすべてを経験するという保証はありません。あなたの年齢、遺伝、病歴、最初の思春期で女性化が進んだ度合い、そしてホルモンの投与法——これらすべてが結果に影響します。さらに、そこにはただの「ばらつき」もあります。身体は一人ひとり違いますし、現れるまでに何年もかかることもあるのです。
声の低下
アンドロゲンは声帯を構成する組織を厚く硬くし、声の高さ(ピッチ)を永久的に下げます。これはあまり速い変化ではなく、最初の数年をかけて少しずつ進みます。声の変化をまったく経験しない人もいて、これは人それぞれです。変化が劇的なものになることはありません。あなたがソプラノなら、いきなりバスになるわけではありませんが、コントラルトやテノールくらいまでは下がるかもしれません。
これは、あなたの声が自動的に男性のものとして聞かれるようになる、という意味ではありません。ピッチは、人が声をジェンダリングする要素のひとつにすぎず、話し方のほうがずっと大きな役割を果たします。共鳴を強め、話すスタイルを変えるには、ボイストレーニングが必要になるでしょう。
体温分布の変化
アンドロゲンは四肢への血流を増やし、手足を温かくします。そのため、男性は身体の中心部(コア)はより冷たく、口の中や体表の温度はより高くなります。基礎体温が上がるのに気づくこともあるでしょう。結果として、あなたは以前より暖かく感じるようになり、これまでのように何枚も重ね着するのは難しくなるはずです。寒い地域に住んでいる場合は、ふくらはぎを出しておくと、身体を冷やしすぎずに熱を逃がすのに役立ちます。
この変化はかなり早い段階で現れることが多く、身体がこの仕組みに慣れるまでは寝汗をかくものだと思っておいてください。
発汗の変化
上で述べた体温分布の変化に伴って、汗のかき方も大きく変わります。汗は頭、背中、脇の下にたまるようになります。汗をかく頻度も増えるはずなので、水分はいつも手元に用意しておきましょう。
体臭
最初に変わるもののひとつであることが多いのですが、汗や全身の体臭は、特に運動中にずっと強くなります。においは、酸っぱく、ムスクのような感じになります。時間とともに落ち着いていく傾向があります。
全身いたるところの体毛
アンドロゲンは、脚、股間、お尻、胸、背中、腕の体毛を大きく増やします。毛はより太く、長く、濃く生えてきます。これはおそらく顔の毛が生え始めるよりずっと前に起こります——顔の毛は生え始めるまでに1年以上かかることもあります。ロゲイン/ミノキシジルが助けになりますが、飲み込むと毒性がある(特に猫にとっては)ので注意してください。
男性型脱毛症
男性型脱毛症(MPB)は、テストステロンから代謝されるアンドロゲンであるジヒドロテストステロン(DHT)によって引き起こされます。体内のテストステロンが増えるとそれだけ多くのDHTが作られ、MPBに関わる遺伝子は頭皮の毛包への血流を減らし、毛包が死ぬまで締め上げてしまいます。何をしようと、いずれ生え際がいくらか後退する可能性は高いのですが、家系の男性に薄毛の人が多ければ、あなたにも同じことが起こると考えておいたほうがよいでしょう。これも、ミノキシジルが助けになります。
合成アンドロゲンであるナンドロロンはDHTに代謝されないため、脱毛が心配なら、テストステロンを直接使う代わりの有力な選択肢になりえます。ただし、DHTは性器の成長にとって重要なので、これは諸刃の剣です。
厚く脂っぽくなる肌
テストステロンは表皮を厚く丈夫にし、肌をきめの粗いものにします。エストロゲンの値が下がると、身体はコラーゲンをあまり作らなくなります。これにより肌はより丈夫に、そして乾燥するようになります(特に膝やひじ)。手、腕、脚の静脈がより目立つようになることもありますが、静脈瘤になるわけではありません。
顔と頭皮は脂っぽくなると思っておいてください。ニキビは悩みの種になりやすく、それは顔だけではありません。投与直後がいちばんひどくなる傾向があります。これはたいてい最初の数年が過ぎると改善していきます。
大きくなる手/足
長い期間(3〜5年)をかけて、手はより丈夫になり、たこができやすくなります。いずれは指輪のサイズを大きくする必要が出てくるかもしれません。
テストステロンはまた、靭帯や腱がより多くの水分を保つようにして、その柔軟性を変えます。時間とともに、足のアーチが下がることで足のサイズが大きくなることがあります。
厚く強くなる爪
アンドロゲンの存在によってケラチンの値が上がるため、手足の爪はどちらも時間とともに厚く伸びるようになります。
筋肉量の増加
アンドロゲンは筋肉の成長を促します。ボディビルダーのあいだでアナボリックステロイド(文字どおりテストステロンです)がこれほど一般的なのは、そのためです。運動をしなくても身体は自然と筋肉をつけていきますが、運動をすれば、特に腕と肩を中心に、かなりの増量が見込めます。気をつけてください。最初のうちは、自分の力加減がわからないものです。
上半身についた引き締まった筋肉は、肩と首のラインを作り変え、より男性的なシルエットを生み出します。また、身体の脂質を処理する能力も高まり、体重を減らしやすくなります。
脂肪の再分布
エストロゲンが身体に脂肪を太もも、お尻、腰に蓄えさせるのに対し、アンドロゲンは脂肪を主にお腹に蓄えさせます。テストステロンを始めると、身体はこのアンドロゲンのパターンに従うようになるので、新しくつく脂肪はお腹に蓄えられ、体重が減るときは全体から減っていくと考えてよいでしょう。胸、太もも、お尻の脂肪は、筋肉がつくにつれて少しずつ移っていきますが、これにはかなり長い時間がかかることもあります。
顔つきの変化
体脂肪の移動とともに、顔の脂肪も動きます。首、あご、あごのライン(フェイスライン)がふっくらしてくる一方で、唇や頬の上のほうはしぼんでいきます。長期的には、目の色も変わって薄くなることがあります——テストステロンが虹彩の色素を褪せさせるためです。
これは非常に繊細でゆっくりと進む変化で、何年もかかるため、まったく何も変わっていないように思えてしまいがちです。いちばん大きな変化は3年目と4年目に起こるようです。比べられるように、自撮りをしておきましょう。
カフェイン・アルコール・向精神薬への耐性の増加
体の質量が増えるということは、化学物質を薄める血液も増えるということです。テストステロンが増えると代謝率も上がり、血流から毒素が取り除かれる速さが増します。
心の変化
「生化学的違和」のセクションで扱ったように、脳は特定のホルモンプロファイルに合わせて配線されていることがあり、合わないプロファイルで動かすのは、バッテリーの少ないノートパソコンや、過熱したプロセッサを使うようなものです。ホルモン療法(HRT)を始めると、ほぼ例外なく、最初の2週間以内に離人感・現実感喪失(DPDR)の症状がおさまります。心の霧(メンタルフォグ)が晴れ、複雑な物事に集中するのが楽になります(ただし、ADHDなど、ほかに認知処理上の難しさを抱えていない場合の話です)。
ADHD
ADHDがある場合、症状にいくらか変化が出ることがあります。アンドロゲンはドーパミン受容体の働きを増幅するので、テストステロンが増えると脳内でドーパミンが活性化しやすくなります。ドーパミンは、脳の短期記憶であるワーキングメモリのふるまいにおける鍵となる神経伝達物質です。ワーキングメモリが増えれば、気が散りにくくなり、認知負荷を維持するのが楽になるかもしれません。
ところが、エストラジオールはドーパミンの産生を促すので、エストロゲンの値が下がると、脳が使えるドーパミンは減ってしまいます。症状は改善するどころか、悪化するのです。
感情の広がり
DPDRがやわらぐと、ほぼ例外なく、感情やその調整の幅がぐっと広がります。感情はいくらかコントロールしやすく、抑えやすくなり、その場で一気に圧倒されることが減ります。ただし注意してください。感情を抑え込むのは、トラウマを生むとても手っ取り早い方法です。
一方で、感情を表に出す力は弱まることがあります。テストステロンを始めてから泣けなくなる人もいますが、これは誰にでも起こるわけではなく、Tの用量の強さと関係している可能性があります。その理由はよくわかっていませんが、アンドロゲンが感情処理に関わる脳の部位の働きを変えることを見出した研究もあります。もし泣く力を失ったとしても、脳がより慣れてきて、二度目の思春期を抜けるにつれて、やがて戻ってくることもあります。健康的に泣くための方法を見つける助けとして、セラピーが役立つこともあります。
感情の調整がうまくいかなくなるのは、投与(注射やジェル)の直前と直後がもっとも多く、辛抱が利かなくなったり、攻撃性が増したりします。
食欲/食べられる量の増加
お腹がすくようになります。テストステロンは身体の代謝を大きく押し上げますし、筋肉量が増えればそれだけ養うものが増えるので、カロリーを消費するのが速くなります。
睡眠
不眠に悩んだり、覚えていられる夢が減ったりすると報告する人もいます。とはいえ、これは決して誰にでも起こることではなく、逆に眠気が強くなって、よく眠るようになる人もいます。
自信
テストステロンには、強い自信を引き出す働きがあることが知られています。問題があまり大きく感じられなくなり、自尊心は強まり、不安は減ります。多くの人が、議論を切り出しやすくなり、対立に直面しても声を上げ、自分のために主張しようとする気持ちが強くなったと報告します。これは、より敵対的になったり、けんか腰になったりするという意味ではありません。ただ単に、くだらないことへの我慢の閾値が下がる、というだけのことです。
外向性
あらゆるタイプのトランスの人が、トランジションのあとにずっと社交的になったと感じるのは、とてもよくあることです。これは、これまで人格の大部分を抑え込まなくてよくなったというだけのことかもしれませんが、先ほど述べた自信もまた一役買っています。
性器の変化
すべての性器は、同じ組織から作られています。それらは、胎児の発生の過程で違うふうに組み立てられているだけなのです。これらの組織のふるまいの多くは、身体が動かしているホルモンによって調整されています。皮膚の分泌、質感、感度、勃起のふるまい——これらはすべてホルモンの現れです。つまり、アンドロゲンを加えると、これらの組織は、たとえ実際にはそうでなくても、ペニスや陰嚢の形をしているかのようにふるまい始めるのです。
ボトムグロース(陰核の成長)
(上で述べた)DHTは、性器の内部にある勃起組織の発達に決定的な役割を果たします。テストステロンの増加にともなってDHTの値が上がると、スキーン腺(女性前立腺と呼ばれることもあります)が腫れます。これによって陰核(クリトリス)の中で不規則な勃起が起こり、勃起組織が成長します。成長の度合いは人それぞれですが、1〜3インチ(約2.5〜7.6センチ)ほどがよくみられます。
Endeavour @itsendeavour I’ve been asked what lower/bottom growth is. What actually grows? It’s the bean. The clitoris. Can grow up to 4-5cm. Length/width is purely genetics like it is for cis guys. Looks like a miniature penis. My growth mainly occurred 3 months - 1 year.
Endeavour @itsendeavour I grew a foreskin. It got sensitive & painful when having growth spurts, like pins and needles
. Had about 3 growth spurts. Gets erect when aroused and morning erections are a thing. Diagrams from folxhealth.com/library/testos…
潤いの減少
陰核包皮や陰唇は、時間とともに乾燥して厚くなり、内側の陰唇(小陰唇)にも毛が生え始めることがあります。自分自身からの潤いは大きく減ることがあり、時間が経つにつれて挿入が痛くなることもあります。裂けたり出血したりしないように、ローションを多めに使ってください。
婦人科の医療者やかかりつけ医に、腟用エストロゲンについて相談することもできます。こうした製品に使われるエストロゲンの量はごくわずかなので、テストステロンの効果を妨げる心配はありません。
絶頂時の分泌量の増加
前立腺が腫れると、それにともなって前立腺液も増えます。これまで潮を吹かなかった人も、今では吹くようになるかもしれません。
感度と反応の変化
性感を呼ぶ刺激は、陰核(クリトリス)の先端や、その軸(シャフト)をなでることに、より集中するようになるかもしれません。一般に、振動よりも摩擦のほうが心地よくなることがあります。皮膚が薄くなることで、腟への挿入時の感度がより高まったと報告する人もいます。
萎縮
腟や子宮の萎縮は、最初の5年以内に起こることが多く、子宮摘出(ヒステレクトミー)が必要になることもあります。萎縮のサインとしては、下腹部の深いうずきや、ほかの生理の症状をともなわない痛みのある痙攣(特に性交のあとに起こるもの)などがあります。腟の萎縮は、腟用エストロゲンや、出生時に男性と割り当てられた(AMAB)トランスの人が腟形成術のあとに使うのと同じ腟ダイレーターを用いることで防ぐことができます。
パップテスト(子宮頸がん検査)の変化
体内の性器に、良性の前立腺組織が少量できることがあります。それは、数個の細胞程度のものから、「よく発達した」腺まで、さまざまです。臨床上の用語では、アンドロゲン関連前立腺化生と呼ばれます。これらの前立腺細胞は、パップテストで見つかった場合、HPVが作る病変と取り違えられることがありますが、HPVとは違って、前立腺化生の細胞は医学的に正常に見え、がんのリスクにもならないようです。必要なら、生検ではっきりと見分けることができます。
上で述べた潤いの減少や萎縮は、パップテストを物理的に行いにくくすることもあります。十分な検体を採るために、医療者がより強く力を加えなければならないこともあるでしょう。医療者は、検査の痛みを減らすために、より小さなクスコ(腟鏡)を使うことができます。自分で子宮頸部をぬぐわせてくれる医療者もいますが、必ずそうしてもらえるとは限りません。
性欲の増加
性欲(リビドー)は、最初の1〜2年はまず間違いなく天井知らずに高まり、効果は投与の直後がもっとも強くなります。性行為のあいだに、これまでより積極的になったり、支配的だったり/タチ(トップ)になりたいと感じやすくなったりするかもしれません。
オーガズム
オーガズムの「かたち」が変わることがあります。じわじわと広がっていくというより、股間からの爆発のように襲ってくるのです。
惹かれる気持ち
テストステロンには、視覚的な刺激からの性的興奮を高める働きがあることが示されています。そのため、自分が好む性別の人に、これまでより早く気づくようになるかもしれません。特に、ガイネフィリア(女性的なかたちに惹かれること)の傾向がある場合はそうです。
月経の停止
体内のアンドロゲンが増えると、視床下部は卵巣をコントロールするホルモンの産生を抑えるようになります。これにより、使えるエストロゲンの総量が減り、排卵が止まることもあります。排卵がなく、FSH(卵胞刺激ホルモン)の値が低いと、子宮は内膜を作って排出しようとしにくくなり、出血が止まります。
ただし、ほかの生理の症状は引き続き経験することがあります。視床下部は、月の周期のほかの面を出し続けることがあるからです。これは、子宮を完全に摘出したあとでも続くことがあります——よくあることではありませんが。
**ただし、これはあなたが不妊になったという意味ではありません。**月経がなくても、排卵は依然として起こりえます。さらに、テストステロンをやめれば、眠っていた卵巣たちもまた目を覚まします。死んでしまったわけではないのです。
エストロゲンによる二度目の思春期 入門
女性化ホルモン療法(HRT)で何が起こるのか
これは、エストロゲンを用いたホルモン療法(HRT)を受けている、出生時に男性と割り当てられた(AMAB)トランスの人々の体験談から集めた、医学的トランジションで報告される変化をまとめたものです。情報源はソーシャルメディアやチャットルームです。そう、つまりこれはすべて逸話的なものなのですが、歴史的に見ても、トランスジェンダーに関する医学研究の多くは逸話に頼ってきました。トランスジェンダーの医学研究に資金を出そうとする人が、誰もいなかったからです。
ここに挙げるのは、あくまで 起こりうる 変化のリストだということに留意してください。女性化ホルモン療法(HRT)を受けている人全員が、これらすべてを経験するという保証はありません。年齢、遺伝、病歴、最初の思春期でどれだけ男性化したか、そしてホルモンの投与方法は、いずれも結果に影響しうるものです。さらに、ある程度の偶然性もあります——身体は一人ひとり違うのです——なかには、現れるまでに何年もかかるものもあります。
胸の発達
世間のイメージとは裏腹に、トランスフェム(トランスフェミニンな人々)の大多数は豊胸手術を選びません。多くの場合それは必要ないですし(そして多くの人にとっては、手の届くものでもありません)。人は誰でも乳腺組織を持って生まれてきます。ただ、それを成長させるエストロゲンがないために、活性化しないまま眠っているだけなのです。発達には通常2〜5年かかりますが、シスジェンダーの女性と同じように、10年以上続くこともあります。
胸の痛みや疼きを覚悟しておきましょう。乳輪のまわりや奥にも、強い圧痛が出ます。どこかにぶつけないように気をつけてください——本当に痛みますから。乳頭と乳輪は、ずっと敏感になると同時に、より大きく、より色濃くなっていきます。スポーツブラをいくつか用意しておくとよいでしょう。
これに乳汁の分泌が伴うこともあります。乳管が形成されて開いていくにつれて、少量の分泌が起こるのは正常なことで、想定の範囲内ですから、慌てる必要はありません。ただし、意図的な刺激もないのに大量の分泌がある場合は、プロラクチンの不均衡のサインかもしれませんので、そのときは医師に伝えてください。
肌の柔らかさ
テストステロンには表皮を厚く硬くする働きがあるため、それを取り除くと肌は薄くなります。さらに、エストロゲンはコラーゲンの生成を促し、肌をより柔らかく、より艶やかにします。脚に静脈瘤がより目立つようになるでしょう。時間とともに薄くなっていたタトゥーが、再びはっきりと濃くなることもあります。
テストステロンを取り除くと、特に顔と頭皮で、皮脂が大きく減少します。その結果、にきびやフケが大幅に減ります。
柔軟性の向上
テストステロンは靭帯や腱に水分を溜め込ませ、伸びにくくしています。体内からアンドロゲンを取り除くと、腱はその水分を放出し、弾力性を取り戻します。
ほっそりした手と手首
肌が柔らかく、ほっそりしてくるのにつれて、手も少しずつ小さくなっていきます。テストステロンがなくなると手への血流が減り、組織のサイズがさらに小さくなります。指から脂肪や水分が抜けていくため、指輪のサイズも下がります。靭帯が細くなって伸びることで、指の長さも短くなります。
小さくなる足
手と同じように、足の形も変化します。アンドロゲンは足への血流を増やし、軟骨に水分を溜め込ませます。エストロゲンは足の靭帯をより伸びやすくします。これらが合わさって足のアーチが高くなり、足全体の長さは最大で2センチほど短くなります。靴のサイズが1〜2段階下がったと報告する人も多くいます。
薄く柔らかくなる爪
爪はケラチンでできていますが、多くのケラチン遺伝子はアンドロゲン受容体によって活性化され、その結果として爪が厚くなります。テストステロンが失われると、爪は薄くなり、割れやすくなります。
体毛の減少
体毛が完全になくなることは期待しないでください。毛包はいったんDHTによって終毛化すると、その状態のままだからです。とはいえ、爪と同じように、毛の太さもアンドロゲンによって活性化されるケラチン遺伝子の現れです。テストステロンを取り除くと、体毛は細く、色も薄くなっていきます。ただし、ここでは遺伝が大きな役割を果たします。
体温分布の変化
アンドロゲンは手足など末端への血流を増やし、そこを温かくします。このため、女性は深部体温は高めである一方、口腔や体表の温度は低めになる傾向があります。基礎体温が華氏97.6度(摂氏36.4度)あたりまで下がるのに気づくかもしれません。
残念ながら、これは寒さへの耐性の低下につながります。そのため、重ね着をする機会が増えると思っておきましょう。特に、多くの建物では空調が男性の快適温度に合わせて設定されているのですから、なおさらです。
発汗のしかたの変化
上記の体温分布の変化に伴い、汗のかき方も大きく変わります。汗は、頭や脇に集中していたものから、全身でかくものへと変わっていきます。胸の下に汗をかく、ということも起こります。
体臭の減少/変化
男性の体臭の主な成分のひとつが、汗の中に含まれるステロイド・フェロモンのアンドロスタジエノンです。アンドロスタジエノンはテストステロンから直接代謝されるため、テストステロンを止めればその供給源がなくなります。これがなくなると、汗はずっと甘い匂いを帯びるようになり、それはしばしば女性的な匂いだと言われます。
スピロノラクトンを服用している人は、この薬が体内でのコルチゾールの取り込みを変える作用により、体臭がまったくしなくなることもあります。
筋肉量の減少
アンドロゲンは筋肉の成長を促します。だからこそ、ボディビルダーのあいだでアナボリックステロイド(これは文字どおりテストステロンです)が広く使われているのです。アンドロゲンで動いている身体は、運動をしなくても、特に上半身に、自然とより多くの筋肉量を備えています。アンドロゲンを取り除くと、その筋肉量は萎縮し、筋肉をつけることも難しくなります。これは、女性的な肩や首のライン、そしてウエストラインを形づくる大きな要因です。
これに伴って、筋力も大きく落ちます。物を運ぶのが大変になり、ピクルスの瓶の蓋を開けるのも難しくなります。
女性的なプロポーションへの脂肪の再配置
アンドロゲンは身体に脂肪を腹部へ蓄えさせるのに対し、エストロゲンは太もも、お尻、腰まわりに脂肪を蓄えさせます。プロファイルが切り替わると、新しい脂肪はエストロゲンのプロファイルに従って蓄えられ、アンドロゲンで動いていたあいだに蓄えられた脂肪は分解されていきます。これによって身体の形が変わり、まるで脂肪が移動しているかのような印象を生みます。ウエストラインは細くなって肋骨の下にくびれを描き、お腹はより柔らかく平らになります。
エストロゲンは身体のずっと下のほうに脂肪を蓄え、上半身の筋肉量は失われるため、重心が下がり、歩き方も変わります。歩くときに、肩ではなく腰で身体を振り出すほうが自然になっていきます。
顔立ちの変化
体脂肪の移動とともに、顔の脂肪も移動します。首、顎、フェイスラインが細くなる一方で、唇や頬の上のほうはふっくらしてきます。眉と上まぶたが持ち上がり、眼球がより多く見えるようになります。目のまわりの皮膚や筋肉の変化によって眼球の形が変わり、焦点距離や視界の鮮明さが変わることもあります。また、テストステロンには虹彩の色素を薄くする作用があるため、目の色が変わり、より鮮やかになることもあります。
これは何年もかけて進む、極めて微妙でゆっくりとしたプロセスなので、まったく変わっていないように思えてしまいがちです。比べられるように、自撮りを撮っておきましょう。
頭髪の変化
アンドロゲンが取り除かれると、頭皮への血流が増えます。男性型脱毛で失われていた毛包が再び活性化し、生え際がいくらか戻ったり、薄くなっていた部分が埋まったりすることがあります。頭髪は太くなり、毛包も丈夫になって、髪をより長く伸ばせるようになります。
この太さが増すのに伴って、くせ毛がより目立つようになったり、髪の色が変わったりすることもあります。自分の髪質が、父親よりも母親のものに近づいていくのに気づくかもしれません。
骨盤の前傾
筋肉が萎縮し、靭帯の柔軟性が増し、体重が身体の下のほうへ移っていくにつれて、脊椎や大腿骨に対する骨盤の向きが前へと回転します——大きくはありません(わずか10〜20度ほどです)が、脊椎と腰の並びを変えるには十分で、背中のそりが増し、お尻がより突き出るようになります。背中のそりが増すことで、骨盤の形にもよりますが、全体の身長が1〜2インチ(2〜5センチ)ほど相対的に低くなることがあります。
注意:これは、出生時に女性と割り当てられた人の思春期や妊娠中に起こる骨盤の回転とは別のものです。あちらは骨細胞の移動の結果であり、骨盤の骨そのものの形が変わります。ただし、まだ最初の思春期のなかにいて、身体が成長ホルモンを多く分泌しているくらい若い人であれば、骨盤の回転が起こる こともあります。また、年配のトランスの人で、長い年月をかけて骨盤の回転が起こった例もあります。2017年、80歳のあるトランス女性がredditで、30年にわたるホルモン療法(HRT)のあいだに、女性の骨盤の回転と一致する変化を主治医が確認した、と報告しています。
カフェイン、アルコール、向精神薬への耐性の低下
体の量が減るということは、化学物質を薄める血液も減るということです。テストステロンを失うと代謝速度も遅くなり、血液から毒素が取り除かれる速さが落ちます。一部の抗アンドロゲン薬は肝臓にも負担をかけるため、化学物質が処理される速さはさらに落ちます。
精神面の変化
「生化学的違和」の章で扱ったように、脳は特定のホルモンのプロファイルに合わせて配線されていることがあり、間違ったプロファイルで動いているのは、バッテリーの少ないノートパソコンや、過熱したプロセッサを使っているようなものです。ホルモン療法(HRT)を始めると、ほぼ例外なく、最初の2週間以内に離人感・現実感喪失(DPDR)の症状がなくなります。頭にかかっていた霧が晴れ、複雑な物事に集中しやすくなります(ADHDのような、ほかの認知処理上の困難を抱えていなければ、ですが)。
ADHD
ADHDがある場合、症状にいくらか変化が出ることがあります。アンドロゲンはドーパミン受容体の働きを増幅するので、テストステロンを減らすと、脳内でドーパミンが活性化する余地が減ることがあります。ドーパミンは、脳の短期記憶であるワーキングメモリのはたらきにおいて鍵となる神経伝達物質です。ワーキングメモリが減ると、気が散りやすくなり、認知負荷を維持するのが難しくなります。
良いニュースは、エストラジオールが脳に、より多くのドーパミンを作るよう促してくれることです。
著者より:
スピロノラクトンには、ミネラルコルチコイドへの作用によってワーキングメモリを妨げるという、よく知られた問題があります。これはADHDの問題を大きく悪化させ、集中を保ったり周囲に気を配ったりするのをずっと難しくすることがあります。私は2017年に交通事故に遭いましたが、あれはスピロによる頭の霧のせいだと思っています。
感情の広がり
DPDRがやわらぐと、ほぼ例外なく、感情やその表現の幅がぐっと広がります。それまでの平静さや解離感が薄れ、感情がはるかに強く響くようになります。高ぶりはより高く、落ち込みはより低くなります。トランジション前は泣けなかった人が、悲しみのときも喜びのときも、また泣けるようになります。
残念ながらこれは、もしあなたが人生の早い時期の出来事でトラウマを抱えているなら(そして、抱えていない人なんているでしょうか)、PTSDの発作を経験しはじめるかもしれない、ということでもあります。だからこそ、セラピストがいるのは良いことなのです(場所によっては必須でもあります)。
気分の波
エストロゲンの値が投与のたびに変動するのに伴って、目に見える、ときに劇的な気分の変化を経験することがあります。理由のわからない涙が出ることもあれば、PMSのような怒りが湧くこともあります。心の準備をしておきましょう。
食欲
トランジション前ほどの量を食べられなくなった、と報告する人は多くいます。腕や肩の引き締まった筋肉が失われると、身体が脂質を燃やす能力も下がり、その結果、満腹感がより早く訪れるのです。
ただし、プロゲステロンは体内のミトコンドリアの働きを高め、代謝速度を上げます。これによって、燃やしたカロリーを補おうと身体が働き、食欲が増すこともあります。
とはいえ、以前ほど たくさんの 量は食べられなくなったと気づくかもしれません。以前より早く満腹・満足するようになった、という報告は多くあります。
睡眠
ホルモン療法(HRT)を始めてから睡眠のパターンが良くなった、と報告する人は多くいます。これはおそらくDPDRがやわらいだことが一因で、AMABのトランスの人にもAFABのトランスの人にも見られるようです。それに加えて、プロゲステロンを始めると睡眠が 大幅に 改善し、より深く眠れて、夢もよく見るようになることがあります。
外向性
あらゆるタイプのトランスの人が、トランジション後にずっと社交的になったと感じるのは、とてもよくあることです。とはいえ、これは実はホルモン療法(HRT)によるものではなく、単に自分の人格の大きな部分を抑え込まなくてよくなった結果なのかもしれません。
感覚の鋭敏化
トランスジェンダーのホルモン療法(HRT)が、両方のかたちのホルモン療法(HRT)において、脳内の灰白質と白質の分布を変化させることは、何度も示されてきました。ホルモンのプロファイルが変わった結果として、新しい構造や神経経路が形成され、それが感覚の知覚の変化につながります。以下は観察され報告されている変化のいくつかですが、これがホルモンそのものの作用なのか、それとも脳が自分の配線に合ったホルモンを受け取ったことによるものなのかは、まだはっきりしていません。
- 嗅覚の向上。特に、ほかの人の身体の匂いに対して。人の汗の匂いがはっきりと——ときには圧倒されるほど——わかるようになります。
- 色の知覚の向上。色がより鮮やかに、より豊かに見えるようになることがあります。
- 空間認識の向上。多くのトランスの人は固有受容感覚(自分の身体の位置感覚)が弱く、不器用になりがちですが、それがホルモン療法(HRT)を始めると消えていきます。
- 味覚の変化。特定の食べものが、より美味しく、あるいは美味しくなく感じられるようになります。たとえばパクチーが、より石鹸のように感じたり、逆にそうでなくなったりします。カプサイシン(辛い唐辛子)への耐性が上がります。チョコレートやワインの風味がより豊かになります。
スピロノラクトンを服用している人は、ピクルス、オリーブ、ポテト製品のような塩分の多い食べものを、強く欲しがるようになることがよくあります。これは、スピロがカリウム保持性の利尿薬で、ナトリウムをすべて尿として出させてしまうからです。脳は、そのナトリウムを補うよう、あなたに欲求を起こさせるのです。
空間感覚の変化、自信の低下
ヒールを履いていてさえ、世界のなかで自分が小さくなったように感じる、という経験は、非常によく報告されます。自分より背の高い人がそびえ立つように見え、空間がより大きく感じられます。
また、言い争いを始めにくくなったり、対立を生むよりも避けたいと思うようになったりする傾向も報告されています。テストステロンは人の自信を高めることが示されており、それを取り除くと逆の効果が現れます。
性器の変化
すべての性器は同じ組織からできており、胎内での発達のあいだに、ただ違うふうに組み立てられるだけです。これらの組織のふるまいの多くは、身体が動いているホルモンによって調整されています。皮膚の分泌物、質感、感度、勃起のふるまいは、いずれもホルモンの現れです。つまり、アンドロゲンを取り除いてエストロゲンを加えると、これらの組織は、実際はそうでなくても、外陰部の形であるかのようにふるまいはじめるのです。
感度の上昇
亀頭と陰茎の幹の皮膚は、ずっと薄く、もろくなり、裂けたり荒れたりしやすくなる一方で、触れられることに 格段に 敏感になります。器官全体も圧力にずっと敏感になり、こするよりも振動のほうがよい刺激になります(こするのは痛みを伴うこともあります)。
潤いと女性的な匂い
陰茎の幹に沿った皮膚が、膣の内部と同じ分泌液を出しはじめます。特に性的に高ぶっているときにそうなります(そう、トランスの女の子も濡れるのです)。これらの分泌液は、膣の内部に育つのと同じ常在菌叢の発達を促します。こうした要素が組み合わさって、ペニスの匂い(と味)が、より外陰部のそれに近づくよう変化していきます。
色と質感の変化
陰嚢は外陰唇・内陰唇に対応する部位であり、より柔らかく、ベルベットのような質感になって、会陰のほうまで続いていきます。会陰縫線(陰嚢が形成される前に外陰部の開口部だった、縦に走る線)に沿った皮膚も色濃くなっていきます。陰嚢に、縞模様のようなパターンが現れる人もいます。
勃起の減少
遊離したテストステロンがなくなると、血中のDHTの値が大きく下がります。DHTは、前立腺を大きくすることを通じて、睡眠中のランダムな勃起を引き起こすうえで大きな役割を果たしており、こうした勃起こそが勃起組織の維持を担っています。DHTがなくなると前立腺は再び縮み、ランダムな勃起もなくなります(朝立ちもなくなります)。
しかしこれは、勃起組織が萎縮しはじめることを意味します。萎縮が長く続くと、良くも悪くも、器官全体が縮みます。これに伴ってペニスの形も変わり、しばしばより円錐形になっていきます。亀頭が最初に縮み、硬くなる能力を失うこともあります。挿入を伴うセックスが難しくなったり、勃起そのものが痛みを伴うようになったりすることもあります。
これは、定期的に勃起を起こすことで対抗できますが、時間がたつにつれて、それもだんだん難しくなるかもしれません。
透明な射出液
射出液を構成する液体の大部分は、前立腺で作られます。それは完全に透明な、ぬめりのある液体です。男性の射出液によく結びつけられる白い色や粘り気は、精巣からの精子と精液によるものです。精子も精液も、その産生は精巣の働きによるものなので、(抗アンドロゲン薬によるものであれ、エストロゲン優位によるものであれ)精巣が機能を停止すると、これらの液体も止まり、前立腺の液体だけが残ります。
なかには、それさえもなくなり、オーガズムの際にまったく射出がなくなる人もいます。
言うまでもなく、これには生殖能力の喪失(不妊)が伴います。一部の情報源が報告しているのとは反対に、これは恒久的なものではありません。多くの人が、デトランジションのためであれ、生殖のためであれ、ホルモン療法(HRT)を止めることで精巣の機能を取り戻すことができています。
精巣の萎縮
精巣がいったん機能を停止すると、細胞は萎縮しはじめ、時間とともに縮んでいきます。この萎縮には痛みが伴うことがあり、それはうずきや鈍い疼きのかたちであったり、ときには精巣から直腸へと会陰の神経を伝っていく、小さな痛みの火花のように感じられたりします。
性的な変化
ホルモン療法(HRT)を始めた当初は、テストステロンの値が急落することで、性欲が完全になくなることがあります。これは3〜12か月続くことがあり、場合によってはまったく戻らないこともあります。プロゲステロンを始めることが、その回復のきっかけになることはよくあります。もし性欲が戻ってきたとしても、その新しいリビドーはまったく別の体験になっていることがあり、最初は自分のものだと気づかないかもしれません。
性感帯の高まり
人間の性感帯:
身体全体が触れられることにより敏感に反応するようになり、それとともに、より強い性感帯が目覚めます。特に、胸、お腹、太ももの内側、そして首が、より興奮を呼び起こすようになります。
オーガズム
オーガズムは、その高まり方においても、感じられ方においても、大きく変化します(上のリンクを参照)。さらに、運が良ければ、不応期なしで何度も達することができる多重オーガズムの能力を得ることもあります。その代わり、オーガズムに達するのが難しくなり、達し方をあらためて学び直さなければならなくなることがあります。また、パートナーと一緒のほうが達しやすくなることもあり、これは以前とは逆かもしれません。
惹かれる対象
トランスジェンダーの人がトランジションに伴って性的指向の変化を経験するのは、まったく珍しいことではありません。これはほとんどの場合、自分自身に課していた心の壁が取り払われた結果ですが、ホルモン療法(HRT)がその取り払いに 一役買う ことはよくあります。多くの場合、これは単に、惹かれる対象が単性愛からバイ/パンセクシュアルへと広がるというものですが、なかには、自分の惹かれる気持ちが実は大きく自己への関心に根ざしていて、本当に惹かれる対象はその逆だったのだ、と気づく人もいます。
月経のような周期的な症状
もちろん、出血のことを言っているのではありません。それはばかげた話でしょう。症状は(シスジェンダーの女性と同じように)人によって大きく異なり、たいていは2〜4日続いて、26〜32日ごとに繰り返されます(なかには2週間ごとに経験すると報告する人もいます)。これは薬の投与スケジュールとは無関係に起こります。Clueのような月経記録アプリを使うと、そのパターンが見えてきます。
- 腸や腹筋のけいれん。お腹の軽いひきつりから、強く痛むけいれんまで。
- 膨満感と水分の貯留
- ガス、下痢、その他の腸のトラブル。
- 情緒の不安定、気分の波、非合理的な考え
- うつや身体醜形感の悪化
- 離人感や解離。
- 性別違和の悪化
- いらだち(PMS)
- 筋肉や関節の痛みやうずき
- 胸の張りと乳頭の圧痛
- にきび
- 疲労感
- 食欲の変化と突然の渇望(参照:チョコレートへの渇望)
- リビドーの突然の変化
- 性器の匂いの変化
そう、これについてはまだ研究はされていませんが、これを報告する人があまりにも、あまりにも多すぎて、単なる例外とは言えません(かく言う私自身もそのひとりです)。そして、複数の人の主治医によって確認もされています。子宮摘出術を受けたシスジェンダーの女性に同じことが起こる前例もあります(私自身、何の医学的介入もなしに、月経はないけれど周期はある、というシスジェンダーの女性を二人知っています)。
エストロゲンとプロゲステロンで身体が動くと、ある遺伝子の配列が活性化し、卵巣や子宮がなくても、女性と割り当てられた人と同じように卵巣と子宮のはたらきを周期させようと、視床下部に指示が出されます。この周期は身体の数多くの器官や下位システムに影響を及ぼし、機能や、ときには行動にまで影響しうる、さまざまなホルモンや酵素を放出させます。
これについてのより詳しい説明は、今後のサイトの更新でお伝えする予定です。
選択
選択とは何でしょうか。いえ、ここでお話ししたいのは自由意志や運命のことではありません。それはこの文章で扱う範囲を超えるテーマです。けれど、ジェンダーという文脈においては、私たちを決断へと導いていくその過程を見つめることが、とても大切だと私は考えています。
意思決定理論(decision theory)という哲学では、選択は二つの要素に分けて考えられます。「選好(preferences)」と「見込み(prospects)」です。見込みとは、私たちの前に広がるさまざまな道のこと——どんな選択にも秘められた、まだ定まっていない可能性のことです。選好とは、その中の一つの道へと私たちを向かわせる、内側の要因のことです。それは時に、言葉ではっきりと説明できる、明確で理性的な選択として現れます。こうした動機は、いわゆる「理性的な心」から生まれるものです。けれど同じくらい多く、選好ははっきりとした理由もなく訪れることがあります。過去の経験から、生化学的な原動力から、あるいはそのすべての奥底にある本能的な衝動から湧き上がってくるのです。時には、心の深いところで感じる、ただの直感であることもあります。マインドフルネスを大切にする人たちは、これを「感情的な心」と呼びます。
ですが、選好がどこから生まれてくるものであれ、それは二つの極のあいだのどこに位置するかによって形づくられます。快さと不快さ。安らぎと不協和。高揚感(ユーフォリア)と違和(ディスフォリア)。私たちのすることすべて、私たちが下す選択のすべては、肯定的な反応か否定的な反応のいずれかから生まれてきます。二つの選択肢を前にしたとき、私たちは自分の内なる必要にとって最も益になるもの、あるいは最も害の少ないものを選ぶのです。
これがジェンダーと何の関係があるのでしょうか。人のジェンダーは選択ではありません。それは、変わることのない脳機能のレベルにある、その人の奥深くから生まれてくるものです。(ジェンダーフルイドの人や、解離性のアイデンティティを持つ人のように)自分のジェンダーの感じ方に揺らぎが生じる要因はあるかもしれませんし、自分のジェンダーをどう表すかが時とともに変わっていくこともあります。けれど、誰も自分の性自認を選んでいるわけではありません。私たちが選んでいるのは、それをどう世界に向けて表現するか、ただそれだけなのです。
そうした選択、そうした選好を突き動かすのは、何が心地よく、何が嫌な感じがするかということです。出生時に割り当てられた性別とは異なるジェンダーで公に生きることを選ぶ人は、そうすることが「正しい」と感じられるからこそ、その選択をしています。そのアイデンティティを守ろうとする人は、「間違っている」と感じられる何かを基にそうしています。私たちは、トランスジェンダーというラベルにつきまとう社会的スティグマや差別に抗いながら、こうした選択を下しているのです。実際、少なからぬ数のトランスの人たちが、安全が確保された途端にステルスを選び、そのラベルを手放すこともあります。ステルスではない人たちのあいだでも、多くのトランスの人がシスジェンダーだと思い込まれることの安全さを受け入れ、あえてその思い込みを解こうとしないことがあります。これもまた、一つの選択です。目に見えてトランスであることが、その人にとっては否定的な経験をもたらすからです。
性別高揚感(ジェンダー・ユーフォリア)と性別違和こそがジェンダーの多様さの中心にある動機なのだ、という考え方を居心地悪く感じる人たちもいます。いわば、違和という概念そのものに違和感を覚えている、と言ってもいいかもしれません。そんな人たちには、こう問いかけたいのです。もし自分には性別違和などないと信じているのなら、なぜあなたはトランスというラベルを背負うことを選んだのでしょうか。その選択は、何もない真空の中で起きたわけではありません。たとえあなたの動機がすべて幸せな感情から来ているのだとしても、自分のジェンダーが尊重されないとき、自分がどう感じるかを問いかけてみてください。他の人にあなたのアイデンティティを否定されたとき、どんな気持ちになりますか。
それは、_落ち着かない状態や、漠然とした不満の状態_ではないでしょうか。
ね、それがまさに性別違和(dysphoria)なんですよ。
私たちはここにいる、私たちはクィアだ。
訳注:見出しの「私たちはここにいる、私たちはクィアだ」は、英語圏のプライド運動で長く叫ばれてきた有名なシュプレヒコール “We’re here, we’re queer, get used to it!”(私たちはここにいる、私たちはクィアだ、いいかげん慣れろ)に由来します。
毎年のように、トランスジェンダーの人口が増えていることを示す新しい研究が出てきます。理解が広がり続けるにつれて、ますます多くの人が、自分の人生で何が間違っていたのかに気づき、クローゼットから出てきています。何十年も前にトランジションした人たちが、ステルスから出てきています。GLAADは、人口の3%もがトランスジェンダーである可能性があると見積もっており、より大きく見積もる推計では5%、あるいは10%にものぼる数字を私は目にしたことがあります。ジェンダーについての理解が深まれば深まるほど、ジェンダーを語るための言葉を手にすればするほど、私たちが押し込められてきた、あの硬直した「男」と「女」の性別構造が偽りであることに気づく人が増えていきます。
けれど、こうした変化のすべてが、人々を怯えさせます。新しいジェンダー理解のもとで自分たちの家父長制的な社会構造が溶けていくのを目にする保守派を、怯えさせます。ハリー・ベンジャミンのルールのもとでトランジションし、自分たちが演じ、嘘をつき、人を操ってまで手に入れねばならなかったものを、今では多くの人がたやすく手にしているのを目にする、昔ながらのトランスジェンダーの人たちを、怯えさせます。彼らは、誰でもトランスになれるのなら、世間がトランスの人たちを真剣に受け止めなくなってしまうのではないかと恐れているのです。そして、トランスジェンダーの権利を無効にしようと躍起になって闘う、女性蔑視的、あるいは男性蔑視的なトランス排除集団をも、怯えさせます。誰でも男や女になれるのなら、男や女としての自分たちの立場が損なわれてしまう、と彼らは思い込んでいるからです。
「トランストレンダー」などというものは存在しません。
「急速発症性別違和(ROGD)」などというものは存在しません。
子どもを「トランスにする」人々などというものも存在しません。
こうした考え方は、もう終わりにしなければなりません。
訳注:映画『マトリックス』で、モーフィアスが主人公ネオに仮想現実「マトリックス」の正体を明かす前に語る有名なせりふ(“No one can be told what the Matrix is. You have to see it for yourself.”)を踏まえた表現です。 ↩︎
Cog
Darkly Dai (Now with added werewolf)
Erin, Sundresses Mom
Not Even a Chef
To My Side My Noble Pandherjar
Lisa T Mullin
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