目次
はじめに
Trans·gen·der - 形容詞
個人としてのアイデンティティやジェンダーの感覚が、出生時に割り当てられた性別と一致しない人を指す、またはそうした人に関する語。
訳注:本書は主にアメリカ・西洋の文脈で書かれており、例として登場する文化・宗教・制度(学校行事や宗教儀礼、医療制度など)のなかには、日本の読者になじみの薄いものもあります。そうした箇所には、必要に応じて訳注で補足しています。描かれている感情や経験そのものは文化を越えて通じますが、具体的な場面は、ご自身の環境に置きかえながら読んでみてください。
人類の文明が始まって以来、世界中のさまざまな文化において、生殖器の構造にもとづくアングロ・ヨーロッパ的な性別二元論の概念に、自分の性自認のあり方が当てはまらない人々が存在してきました。シュメール帝国において中間的なジェンダーをもつ祭司階級であったガラ(Gala)は、4,500年以上も前に存在していました。北アメリカの先住民文化の多くは、ヨーロッパによる植民地化のはるか以前から第三の性を認めており、それは今日に至るまで続いています。アフリカ各地の部族文化も数多くの性自認を認めてきましたが、ヨーロッパ人はそれを根絶やしにしようとしました。人間は長いあいだ、今日の西洋化された文化におけるいわゆる「伝統的」なジェンダーの考え方とは異なるアイデンティティや規範をもち、その規範への同調の度合いもさまざまに生きてきたのです。
それにもかかわらず、トランスジェンダーの経験に対する現代西洋の理解は、まだ130年ほどの歴史しかありません。「トランスジェンダー(transgender)」という言葉でさえ、1965年に生まれたばかりです。ジョン・オリヴェン(John Oliven)が、デイヴィッド・コールドウェル(David Cauldwell)の造語「トランスセクシュアル(transsexual)」(1949年)よりも正確な代替語として提案したのが始まりでした。そしてその「トランスセクシュアル」という言葉自体も、マグヌス・ヒルシュフェルト(Magnus Hirschfeld)の用語「トランスヴェスタイト(transvestite)」(1910年)に取って代わって生まれたものでした。
トランスジェンダーであるということは、ペニスをもって生まれた人が実は女の子であったり、外陰部をもって生まれた人が実は男の子であったり、あるいはどんな生殖器の組み合わせをもって生まれた人であっても、そのスペクトラムのどちらにも完全には当てはまらないノンバイナリーであったりする、ということを意味します。
トランスの人は、人生のどの時点でもこのことに気づく可能性があります。ジェンダーという概念を理解できるようになるとすぐに自認する子どももいれば、思春期が始まるまで何も感じない人もいますし、完全に大人になるまで何かがおかしいとまったく気づかない人もいます。多くの人は、自分のジェンダーが出生時に割り当てられた性別と食い違うかもしれないという考えや、それがどんな感覚なのかを知る機会がそもそもなく、ただ自分の運命を受け入れてきたのです。
さらによくあるのは、たとえ出生時に割り当てられたジェンダーに不満を感じていたとしても、それはトランスジェンダーの人が経験することとは違うと思い込んでしまうケースです。なかには、トランスジェンダーでありたい、性別移行をしたいと願うこと自体が、「間違った体に生まれた」自分が本当は男の子・女の子だと分かっていた「本物の」トランスの人に対する、ある種の侮辱になるのではないかと感じる人もいます。大衆メディアによって広められてきた、こうしたトランスジェンダーの経験をめぐる物語は、トランスジェンダーであるとはどういうことなのか、トランスジェンダーとして育つとはどんな感覚なのかについて、ひどく誤った印象を生み出してしまうことがあります。
社会的に推定されたジェンダーと、内面の自己感覚とのあいだに生じるこうした断絶の経験こそ、私たちが性別違和と呼ぶものであり、性別二元論の内側にいるか外側にいるかにかかわらず、ほぼすべてのトランスの人に共通して見られるものです。これは時として、トランスコミュニティのなかである種の政治的な話題になってきました。グループによって、性別違和とは何か、それがどう現れるのか、何をもってその人がトランスだと言えるのかについての考え方が異なるからです。その議論に深入りして迷子にならないよう、このサイトでは性別違和を、出生時に割り当てられた性別との不一致という広い意味で定義します。もしあなたが、出生時に割り当てられたものと一致しないかたちで性自認を経験しているなら、その不一致があなたにとってどんなかたちで現れていようとも、あなたがトランスジェンダーを名乗ることは正当なことなのです。
このサイトの目的は、性別違和が現れうる数多くのかたちと、性別移行の数多くの形態を記録し、クエスチョニングの人、トランスジェンダーとしての旅を始めようとしている人、すでにその道を歩んでいる人、そして単純によりよいアライ(味方)でありたいと願う人に向けて、ガイドを提供することにあります。