対人的違和
Nightling Bug
@NightlingBug When you interact with very masculine men, you're nervous. You don't really know how to carry on a conversation with them, or want to. You feel an expectation, from them, to be something you're not. You quietly judge them for being too "bro"-y, "basic."
Nightling Bug
@NightlingBug Being vulnerable around strange men is terrifying. You're anxious when you use the public men's room. Changing in a gym locker room is unthinkable. You do not feel ownership of these spaces. You are very concerned about strange men observing you, or your body.
Nightling Bug
@NightlingBug You're awkward at social touch. You might crave touch, like most people, but you feel like you're almost entirely incapable of receiving it warmly. When giving a hug, something about your torso feels like it will be *offensive* to others. (Whatever it is, they don't notice.)
Nightling Bug
@NightlingBug You can't talk about sex, or attraction, or the bodies of people you're supposed to be attracted to. Even when your commentary is solicited, everything you could say feels unwanted and inappropriate, even if it'd be fine coming from someone else. You freeze up.
Nightling Bug
@NightlingBug You struggle even to voice innocent physical compliments to others, like "Looking good!" You are hyper-aware that virtually anything could sound like unwanted sexual attention, coming from you. You feel like your attention is uniquely, universally unwelcome.
Nightling Bug
@NightlingBug When an AFAB friend expresses disapproval, you're devastated. You scramble to get their approval back. You're worried you're coming across as a simpering "nice guy," all of whom you despise. You just value your AFAB friends' opinions more highly, for reasons you can't explain.
対人的な性別違和は、すべてひとつの中心的な問いを軸に回っています。それは「周りの人は、私をどの性別だと思っているのだろう?」という問いです。対人的違和(social dysphoria)とは、他者との直接のやり取りの中で生じる違和のことで、外の世界が自分をどう認識し、他人が自分をどう呼び、そして自分が他人をどう呼ぶことを期待されるか、にまつわるものです(社会の制度や通念から生じる「社会的違和」とは区別されます)。これは、トランスの人が自分自身の性別に気づく前と、トランスとしての目覚め(自分の殻を破ること)を経たあととで、感じられ方が違ってきます。
まだ何も見えていない段階では、ただ「他の人とのやり取りの中で、何かがしっくりこない」という感覚だけがあります。自分と同じ指定性別の人たちは、自分には自然に思えないやり方で互いにやり取りしているように見えます。彼らのふるまいや身ぶりは奇妙で意外に感じられる一方、自分の本当の性別の人たちとのやり取りのほうが楽に感じられます。より自分の真実に近い人たちとのほうが、心が通じ合うのです。
たとえば、出生時に男性と割り当てられた(AMAB)トランスの人は、男性の集団の中でとても居心地の悪さを感じることがあります。場違いに感じられ、男性の仲間にうまく馴染めずに苦労するかもしれません。男性的なやり取りは自然にはできず、男友達を真似ようとしてもぎこちなく感じます。むしろ女性との友情に強く惹かれることもありますが、男女のあいだに働く社会的・異性愛的な力学に阻まれて、純粋な友人関係を結べずに苛立つことになります。そもそも女性のほうが友達になろうとしてくれれば、の話ですが。女性がはなから自分を避けようとするとき、深く傷つくこともあるのです。
ノンバイナリーの人の中には、男性とのやり取りでも女性とのやり取りでも、対人的な不一致を感じる人がいます。それは、自分の性別表現を変えても消えずに残ることがあります。
この「何かが間違っている」という感覚は、自分の中の不一致をますますはっきりと自覚するにつれて強まっていき、自分が本当は何者なのかに気づいたとき、新しいかたちを取ります。バイナリーのトランスの人にとって、それはしばしば、男性であれ女性であれ、自分の本当の性別として見られたいという強い欲求として現れます。ノンバイナリーの人の中には、これをむしろ性別高揚感として経験する人もいます。男性とも女性とも見なされず、性別を特定しない言葉遣いで呼ばれることや、同じ場で人によって異なる性別に読み取られることに、喜びを感じるのです。中には、周りの人が自分の性別を読み取れずに困惑するときに、強い性別高揚感を覚える人もいます。
対人的違和において、代名詞やミスジェンダリングは大きな問題となります。自分の性別と合わない she、he、him、her といった性別のある代名詞で呼ばれることは、ものすごく不快なものです。たしかに、これはシスジェンダーの人を含むすべての人に当てはまります。けれども、シスの人がミスジェンダリングされて「侮辱された」と感じるのに対し、トランスの人は「傷ついた」と感じます。それは黒板を爪で引っかく音や、スチールウールで肌をこすられるような感覚なのです。間違った代名詞を耳にすることは、いま話している相手が、自分を本当の性別として認識していないのだという事実を、突きつけられることなのです。
ジェンダーニュートラルな代名詞でさえ、自分に合う代名詞を相手が避けているのだとはっきり分かるような使われ方をすると、バイナリーのトランスの人にとっては落ち着かないものになり得ます。これはしばしば、自分がトランスジェンダーだと読み取られていて、相手がどの代名詞を使えばいいのか分からない、というサインです。代名詞を尋ねてもらえればこの状況はすぐに解決しますが、ここに逆説があります。そうした場面でさえ、代名詞を尋ねられること自体が、トランスだと気づかれてしまったという違和を呼び起こすことがあるのです。いわば八方ふさがり(catch-22)です。
単数の they もまた、トランス嫌悪的な人が、正しい代名詞を使うことは拒みつつも、間違った代名詞を使えば咎められると分かっている場合に、悪意をもって使われることがあります。口調と意図が、とても大きな意味を持つのです。
同じことは名前にも当てはまります。自分で選んだ名前ではなく、与えられた名前(デッドネーム)で呼ばれることは、無自覚にそうされた場合でも自分の存在を否定されたように感じられ、意図的にそうされた場合には、あからさまに切り捨てられたように感じられます。
これは、まだ指定性別で生活している最中に、自分の本当の性別として扱われたことへの喜びや気恥ずかしさとして現れることもあります。たとえば——
- AMAB の人が、侮辱のつもりで「女の子」と呼ばれたのに、怒るどころか頬を赤らめてしまう。
- AFAB の人が「Sir(男性への敬称)」と呼ばれて、かえって嬉しくなる。
Dr. Emmy Zje @Emmy_Zje The irony in “trans women mimic gender stereotypes” is the only time I DID mimic stereotypes was when I was forced to interact with men. And I did so out of a sense of survival and a longing to try and fit in.
I didn’t transition into stereotypes…I transitioned out of them.
対人的違和による不快さは、トランスの人を、自分が本当に名乗っているとおりの人間なのだと世間に納得させようとして、大げさにふるまったり装ったりするよう追い立てることがあります。トランスフェミニンな人は、メイクや女性的な服装に力を入れ、控えめに見えるよう口数を減らし、高めの声で話すようになるかもしれません。トランスマスキュリンな人は、男性的な服装スタイルに頼り、背筋を伸ばして立ち、感情を表に出すのを抑え、大きな声で話し始め、意図的に声を低くするようになるかもしれません。ノンバイナリーの人の中には、あからさまに男性的・女性的に見えないよう、自分の見せ方を意識的に変える人もいます。それは、似たような身体を持つバイナリーのトランスの人が用いる手法と重なることもあれば、あえて互いに矛盾するジェンダーの手がかりを強調してみせることもあります。
身体的違和と対人的違和
ある身体的な特徴が、あるトランスの人にとっては常に不快さの種であっても、別の人にとっては対人的違和としてのみ現れる、ということがあります。たとえば、自分の見た目を気にするのはそれがミスジェンダリングやクロッキング(トランスだと読み取られること)につながるときだけで、いつも本当の性別として見られ扱われる環境の中でなら、まったく心地よくいられるという人もいます。
私自身は、自分の声に直接の身体的違和はありません。それどころか、生まれ持ったバリトンで歌うのは本当に楽しいですし、家族だけと家にいるときは声を自然なままにくつろがせています。けれども外に出ているときは、女性らしい声で話せることが、見知らぬ人から女性として見られるうえで決定的な役割を果たします。だから私は、その声を女性らしい響きに鍛え上げることに多くの努力を注いできました。電話に出た瞬間や、家を出た瞬間に、私の女性の声はスイッチが入ります。もはや意識してやっていることですらないのです。
「あなたも仲間だ!」
とても興味深く、そして驚くほどよくある現象として、クローゼットにいるトランスの人どうしが、本人たちもそうと気づかないまま、互いを見つけ出す傾向があります。私が何度も繰り返し耳にしてきた面白いパターンがあります。ある友人グループの一人が自分はトランスジェンダーだと気づいてトランジションを始めると、それがきっかけとなって、グループの他のメンバーも自分はトランスだと気づき、同じようにカミングアウトしていく、というものです。
kiva @persenche @Whorrorer i can know a cis woman for a year and not feel like i'm all that close to her.
i can know a trans woman for three hours and feel like i've known her my whole life.
トランスの人どうしは、無意識のうちに互いの友情へと引き寄せられていく傾向があります。それは、自分たちと同じように考え、ふるまい、偏見を持たずに接してくれる仲間を求める気持ちからでもあり、社会的に疎外されてきたという連帯感からでもあります。もちろん、これはトランスの人だけに限ったことではなく、あらゆるクィアな人たちにも起こることですが、それが波紋のように広がっていくさまには、なかなかの力強さがあります。これは、友人グループの一人が口火を切ったことに呼応して、グループ全員が結婚し子どもをもうけていく、というあのパターンによく似ています。
トランスの人は、トランジションのあとも、自分たちで付き合う相手を選んでいくことがよくあります。私たちはシスの人にはできないほど、互いをよく理解し合えるからです。トランスの人たちが一か所に集まると、独特のエネルギーが生まれます。その場が、仲間意識と共感の空気で満ちていくのです。私たちは、自分たちの来し方にあまりにも多くの共通点を持ち、あまりにも多くの経験を分かち合っているので、(性格の相性の問題でもない限り)一瞬で心を通わせ、結びついてしまうのです。